逸脱と研鑽の公案
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受験僧

まったくもって久しぶりのログ。

昨年から今にかけて、受験僧として過ごしています。

仕事と坊主の修行のボリュームをだいぶ下げて、
MBAに向けた受験活動をしております。

どこかで書いているかもしれないが、かれこれ5年くらい「行こうかな」と思ってきたところ、
会社の思惑も、私のキャリアビジョンもしたいことも、
ピタッと照準が合い始めてこの境遇に居る訳です。



とはいえ、
周りに受験生がわさわさ居て彼らと競争する日本の典型的な受験シーンかなり異なり、
海外MBA受験たるや、日本中で数百人ぐらいがポツッポツっと各々黙々とやっている
一人旅なもの。

受験活動そのものは下記に詳述するとして、
自分の気持ちや目線を上にもっていくためには情報収集も重要ゆえに
費やす時間の半分くらいはWEB8割/書籍2割くらいで様々な情報や言説を猟歩するもの。

ありがたいものや、ノイズぷんぷんだったり、玉石混淆甚だしく、
これらに関わるだけで澱がたまります。

で、ふと気づくとこれまでもっぱらRead Onlyな有り様で、
己からの発信をしていない。

経過を一連に語るのも、実際結果が出ないことには価値不明なノイズ化するので、
ひとまず、中休みとなった今において、簡単な現況報告をするくらいはよいかと思いました。

よって、備忘録のような現況メモ。



MBA受験は、AO入試のような側面と一般受験の側面、両方の掛け合わせです。

前者にあたるのが、
・職務経歴 -> ResumeやCurriculum Vitaeといった履歴資料
・エッセイ -> 小論文、あるいは自己評価、自分の説明書
・学歴   -> どこを卒業しているか、もさることながら、成績はどうだったか
・願書   -> 上記の要素を含んだプロフィールシート
・インタビュー -> 出願後に1次審査通過したら呼ばれる。電話面接や近所の卒業生面接など。

後者にあたるのが、
・Toefl -> 英語力テスト *MBAは基本英語授業のため書く/聴く/読む/話すの語学力は大事
・GMAT -> 経営大学院適性試験。 数学力と理解・批判力(@英語)のテスト。


評価は多様にあるように思いますが、
前者は必要条件、後者は十分条件と私は思います。

受験は志望する学校ごとに願書とその他書類作成することで行っていく訳ですが、
それぞれの学校の個性や方向性との合致/適性を前者で、
ハードな授業にそもそも着いてこれるかを後者で、見られると思います。



このへんの細かい説明は他に委せるとして、私は今どうなっているかを。

後者のテストは昨年何回か受け、
 TOEFL 104
GMAT 710
というスコアになっております。

TOEFLはどうも勉強する気も起きず、また、コンピューター相手にしゃべるのが変で、
まだ1回しか受けきっていません。
ハーバードの足切りが105に設定されていることからも、しょぼいです。
(現在、地味にスコアアップ作戦を実施中)

GMATも似たようなもので、
しかしこっちはMBA系専門試験ですから大事。
何も勉強せず580くらいだったのを、しばらーく数学編を勉強してみたら710くらいになりました。

Toeflは非英語圏受験者のみ必須ですが、
GMATはアメリカ人だろうが受験する上でみんな受けるもの。

710点は、Top 10%以上を示すスコアなので、非ネイティブとしてはどこでも出せるまで行ってるし、
いいかと思って放ってあります。



志望校を決めて、前者の制作をし出願することで、やっと受験となるわけですが、
こちらのほうはこれまでに、

MIP Milan
Stanford
MIT
UC Berkeley

というところに出しています。

このうち、MIP Milanは合格の結果連絡をもらいました。
拙僧のお仕事であるところのDesign関連に強いので受験。

しかしここは4月スタートで、あまりに無名なため会社が「うーん、どうよ」となり、
断ることに。

残りの学校は、すべて1月に提出したので、結果は3月以降。
とはいえ、面接に呼ばれなければ合格はしないので、3月であらかた分かるでしょう。



そうして、現在ひきつづき、

HEC Paris
IESE Barcelona
Yale
Columbia
Notre Dame

といったところを受けようとしています。

はー、大変だー。

*Notre Dameは、GMATの点数を知ってか「タダで受けさせてあげる。結果も1週間で出す。」 
 という大盤振る舞いなオファーがメールできたため、感涙のあまり出願の予定。



ということで、なにか動きがあったら、またUPします。 

こころの柱

侘び寺に、久々に立ち戻る。



住まいを、海辺の旧避暑地の崖の上から、お城の堀の内、富士山を眺める土地へ。



次の移動も見えているから、仮住まい。



思い返せば、なにしろ移動好きである。

平成18年は、その習性に輪をかけて、移動の年だった。



中国へ数度。

台湾へも行った。

アメリカにも長期滞在した。

ヨーロッパへも出向いた。走った。

広島との往還も40回。

ひとり、引越し。







いい年だったかどうか、と問われれば、

そうだったと答えたい。



悲しいこともたくさんあった。

それでもなお、生きているし、年を越えてとても未来への希望を感じている。

自分の好きな自分に戻ってきたし、

自分らしい歩き方を久々にしていると思う。

そして、足取りも確か。



この今を生み出しているのは、2006年があったからで、

なによりも確かですばらしい支えを得た。



波乱も肥やしに。沈鬱も次への序曲なのだ。







年を越えて、家族の正月へ招かれた。







ところで、私、人の本棚を眺めるが好きである。

その人のこころの襞も含めて、感じることができると思うから。



並んでいる本たち。それらの背表紙に残る手の跡。

並び方。置かれ方。カテゴライゼーション。

いつごろ、どれくらい手に取られたのか。

そして、その本棚は総体としてその人にとってどういうものなのか。



招かれた家の居間には、ひとつ本棚があった。



真ん中に仕切りのある、背の高い本棚。



向かって右側は、歴代の芥川賞受賞作品が、昨年分まで並んでいる。

かれこれ40年分ぐらいだろうか。



左側には、同じように、直木賞作品が並んでいた。







この家の主は、87歳の男性。



彼の居室や、その他の部屋にもきっと本棚や書籍の空間はあって、

そこには別の、彼の趣味や雑学、仕事や遠い過去にかかわる本が並んでいることだろう。



家の中心地となる居室の本棚からは、

彼の意思、あるいは、柱、命脈のようなものをとても感じた。



最近の受賞作もあるから、

「ゲルマニウムの夜」も、「そのとき母は」や、「蹴りたい背中」などもある。

そして彼は87歳だ。

本たちは、少なくとも一度は読まれた形跡があり、

背表紙には揃いだから手製なのか、「芥川賞受賞作」という帯も付いている。



彼が生きてきた時代の結晶、あるいは定点観測としての、

両賞作品群がそこには並んでいる。



たとえその作品個々の文章が、彼の好みに合わなくても、許容しずらくても、

生きてきた時代の結晶として辿り続け、

彼の生活圏が外と触れるひとつの核である居室に並べている。



そんな真摯で、持続的でゆるがない息遣いに、とても尊敬を感じた。







実際は違うのかもしれない。



ただただ、「かわないとねぇ」の惰性がここまできて、

買った以上置き場所を用意しなければならんから、一番マージナルな居間へ置き晒しているのかも知らん。



それでも、続いていることは確かで、

少なくとも本屋で両賞作を見かけたら、買うようにしていることは事実。



続けること。



これこそが、こころの柱の本懐なのではないだろうか。



それがこころの柱そのものなのか、あるいは、こころの柱の表徴なのか、

それはわからないけれど、

ひととき触れた私に、なにか確かなものを伝える力があるものだ。







彼はもともと名古屋のほうで、

住み、働き、家族を養い育て、長く過ごしてきたそうだ。



そして、リタイヤ後、子供家族の暮らす関東へと移動された。



よって、その移動の際には、ひととおり身の回りを整理して、

エッセンシャルなものを携えて動いているのだろう。



越してこられて長いようで、生活の蓄積も感じるのだが、

その中で、この両賞の本棚は、凛として確かな佇まいをしていた。



変化の中でも続き、変わらないもの。

それを大切にする姿勢。



これについて、私はなにも現場では語らなかったけれど、

でも、とても身の締まる思いをした。







移動を続けると、だんだん自分に大切なもの、エッセンシャルなものが見えてくる。



それは存外、こじんまりとしたサイズで、

スーツケースにして2つであまる程度だ。



※趣味も職業もあって、本がとても多いし、

 本こそ私の資産なので、それは別。



かれこれ20年ほどの移動の暮らしの中で、

このエッセンシャルなものたちはどんどん変化してきたと思う。



だが、最近は同時に、レギュラー陣も増えてきた。



これからは、きっと、どんどん量は減ってきて、

レギュラー陣ばかりになるだろう。



そして、これからは、私は、

大切にしたいものを長く長く続けていくことを、しようと思うのだ。



我慢や待つこと、それを重ねるのは、

不慣れだけれど、それをしたことがこれまでないのは、

これからそれをするためなんだろう。



そんな教えを、彼の本棚から感じた。







いろんな物事や場所を猟歩して、散らかして、得て、

原始的な育ち方をしてきた。



仕事も、まだまだ半成りだし、

人として完成までは程遠い。

貯金もないし。借金もある。



我慢をまだまだ知らず、意固地な部分や不必要なこだわりもある。



だが、徐々に、確かに続く生き方を志向しはじめてきた。

そして、これまで言葉先行で思ったり動いたりしてきたことが、

だんだんほんとうの意味を見せてきた。



だからこそ、こころの柱を太く確かにしていきたいと思うようになった。







移動を続けてきたのは、きっと、帰る家が確かにあったからだろう。



あたたかく私を育んだ家。

敬愛する祖父がつくり、住んだ家。

いろんな人と出会い、過ごした家。



私はきっと、この家から卒業をして、

次へつなぎ渡す、家をつくろうと思っているのだろう。



次の世代に確かな柱としてつながる家を。



そんな気持ちへ、変化していることを知った今年。



移動人生は続くけれど、それでも、

これまでの発散系の移動から、

収束してひとつの筋や命脈としての移動へ。



今年も、よい旅を続けていこう。

温もりと愛情につつまれながら。

麻三斤

ここのところ経験は豊かなのだが、
organizeされなくなり、
いささか、気持ちが時間を追い越しそうに。
嵐が心に宿りはじめたので、
自戒をします。


自由なこころは、
シチュエーションのSetの仕方によって、
時に、心を毛羽立たせ、
人に向けてはよろしくない棘となる。


外への力を封印して、自由を追い込んでみよう。
すべてにきちんと向き合おう。


踏むべきプロセスは、予定通り踏みながら。


それで贖罪にはならないが、
罪を受ける皿にすらなれていないから、
まずは矯めて自律することを再認せねば。


私なりの麻三斤を見つけたが、
まだ川の向こう。


世界と一緒に微笑みながら、川を渡れる時まで、
シバラク、修行、修行。


禅堂にて、秋は過ぎる。

大田区extreme person

※Mixi 06年8月16日分日記の補遺として書いたものを、移載しました。


さっき、「アホ」と書いて、
西の用法だなぁ、と少し思い、
隣の席の仲間と雑談していて、思い出した。

私は、東京の根はもともと文京区界隈にあったのだが、
会社に入って、大田区蒲田に友達とルームシェアして住んだ。

それは、私の会社は田町で、奴のそれが横浜で、
真ん中を採っただけなのだが、
住んでみて、いろーんなカルチャーショックを受け、
結果、なんて活力のヴァイヴに溢れているのだろう、
と感心し、
以来、大田区には畏敬の念を持ち、一目置いている。

たとえば、終電間際になると、
横浜方面への客引きだろう、白タクの方々が、
なんと改札の向こう側に列をなして、
競りのように、「横浜3000円」とか叫んでいること。

たとえば、ヴァイヴが似ているのか、
中国/韓国はもとより、
ベトナムやパキスタン、インドやカンボジアなどの、
各地からの方々のコミュニティがあり、
結果、かなーりオリジンに近い雰囲気で、
各国の料理を食べられるお店があること。

たとえば、家に帰る途中の商店街には、
安藤昇のような渋い初老の人が、
トレンチコートの襟を立てて、何する訳でもなく、
ひとりぼんやりタバコをすいながら立っている事。



そうして、最初の「アホ」の話。

改札の傍で、いつもどの時間でも同じ場所で、
お酒を飲みかわしている方々がいたのだが、
ある日の白昼、通勤のため改札へ向かっていると、
ホールにその方のうちのひとりが仁王立ちとなり、

「大阪のアホー、東京のバカー」

とずっと叫んでいた。

何事も、真実や本質は、
統計で平均化されない、極端な行動をする人を観察することで、
豊かに看取されうるが、
それを地でいく経験でした。

「確かにその通り。」という、
これ以上ない、強いメッセージを発していた。
おそるべし。
あんなに叫べるなんて。


ついでに別のエピソードを思い出したので付け足す。

大森駅近隣に家を買った年の年末、確定申告をした。

はじめて税務署に行き、
ものすごく対応慣れした職員の方々のお世話になったのだが、
当然、税金というシビアな国民義務に関する事であり、
extremeなリアクションをする方は現れる。

広いホールは机が並べられ、整然と職員の方々により、
われわれ納税者はテキパキ処理されていく。

ちょっとした待ち時間に、ふと全体を見渡すと、
どうも奥の方に、不自然な間仕切りがあり、その向こうでは、
何かしら異議を問われた方が、闘っている様子。

どうも、本人性の確認をIDでする必要が生じたが、
ご本人は提示を渋られている感じだった。

しばらーくして、ホールに怒号が響き渡った。

「俺は俺だ!!」

こんなにはっきりと、
アイデンティティを宣言することは、なかなかないし、
人がそうする場面に遭遇することも稀だ。

これまた、強い真実の言明だった。
アイデンティティって、大事ですね。


今は大田区のはじっこに住んでいるが、
空港や競馬場/競艇場、工場地帯から田園調布まで、
おそろしく守備範囲も広く、生命力も強いこの区には、
まだまだアツいエピソードがたくさんあるに違いない。

私自身の思い出はまだ大量にあるのだが、
それはまた、別の機会に呑みながらでも。

きっと私は、その時までにも、
より多くのエピソードに出逢い、
さらに大田区へ、人間への、畏敬の念を深めているはずだ。
 

空を眺め 音楽を聴く

夏ですね。


相変わらず、あちらこちらへ旅をしつつ、

仕事は楽しく、眠りは浅く、お酒は多く、という、

勢いで暮らす日々を送っております。


自堕落、補陀洛。


さて、あまり居ついてはいないのですが、

会社の自分の席が、いろいろあって最近ひろくなり、窓に近づきました。


だから、首をめぐらせれば、東はお台場、南は品川あたりまでの、空を眺めることができます。



夏の青空


台風前のドラマチックにもほどがある、憂いと奥行きのある雲空、特に夕焼け時


雨がちの、全天垂れ込める灰色の雲霧


濃緑の少しだけ星が見える夜空


青白い朝焼けの空



仕事の合間、あまりやる気の出ないとき、

特に何を思うわけでもなく、飽きずよく眺めています。




そしてまた、無線LANをフロアに入れたので、

デスクPCなぞ埃をかぶりはじめ、

自前ノートPCで、音楽をかけながら、考え事をします。



そうすると自然に、


空を眺め、音楽を聴く、


という、優雅なれど無産な時間がたくさん生まれてきます。




時間とともに形を変える 雲、 色が変わる 空、

時間とともにうごめく リズム、 流れていく 旋律、


心が軽く、だんだん自分が落ち着いてくる、素敵な時間です。



今もこうして、止み始めた雨につられて、もやが徐々に晴れていく様を、

ガーシュウィンを聴きながら、ぼんやりと眺めています。



バリバリ働かなくても、仕事(場)で、充実した時間はあるようです。


ほんのすこし、給料泥棒。



去来

生まれたとき、親が居て、
育てられた、家族があり、
学んだ、学校があり、
あるいは修練にまつわる、集団があり、
住処の傍には、近所が居て、
価値を生産しだすと、会社などの組織と交わり、
その過程で、恋人ができ心躍らせたり悲しんだり、
そしてまた、世帯を持つと生活をともにする人が生まれ、
その気になれば、子供ができ家族となり、
病めば、病院、
老いれば、ケアハウスなり介護なり、

ああ、つまりは、人とのつながり、関係によって、
生の文脈は生まれるのであるなぁ、と思いました。

だからこそ、ふと人とのつながりの外に出て、
別個の人と人の世界へ身をさらす、
旅は大事なのでしょう。

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歩む過程で、出会いもあれば別れもある。

いろんな道筋が取り結んだり、並んで走ったりし、
自らのみちも、
時としてにぎやかな交差点になり、
時として静謐な林間のけものみちであったりする。

みちのゆくえは、
思いと努力と偶然と、最近はその代替物である金銭などでも、
動いたりするようです。

時とともにうつろうので、
まるで船出のように、
都度その次の一歩の意味を腹に据えながら、
祈りながら動き出せば、
どんなみちでも、歩みはしっかりするのでしょう。

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さて、私の生活にも、新しい伴侶が。

といっても、犬なのですが。

テオドールという名前です。

何かの縁で、暮らしを共にする、道行です。

同行2匹になりました。

彼らにも彼らのみちがあり、
それはけものみちですが、
その先の幸せを、
私自身のそれを思いながら、
一緒に祈りながら歩もうと思います。

よい出逢いに。 よい未来に。

すっかり夏な、この昔の避暑地の寓居にて、
テオの寝姿を眺めながら、とびきり冷やした白ワインを飲みます。

しなくていいことをする。 品の大事さ。

しなくていい苦労はしなくていい、といわれる。


苦労は苦労である。


しなければいけない苦労はもちろん、

しなければいけないが、


苦労は望んでもしろ、といわれるもの。


しなくていい苦労のほうが、尊いのではないか、と思い続けてきた。


****************************


ここ数年、絶えず心に留めているのは、


「品って大事」


ということ。


下品・上品、その区別のよしあしは置いておいて、


「品がある」「品がない」、このことの存在に留意しながら、


できるだけ、

「品」なのか、さわやかさなのか、優雅さなのか、

貴重さなのか、学びなのか、


まあ、そんな、まわりの時間や生活に対して、

良い刺激と心地よさを提供するのは大事と思うのだ。


*************************


この2つは、実はとても密接に結びついていると思う。


品とは、意識して身につくものではない。


経験と、それを解釈するこころ、それを体験したからだ、

それらが混ざり合って、

「ここはこうだ」「こうしよう」「こう思われる」

そんな意識も含みながら、切り開かれた、身のこなしと、しつらいだからだ。


建物に、品のありなしがあるように、

やはり、なにものか語ること、学んだからだ、を持たなければ、

ないものを形にはできない。


「品」がどこかにあるものであれば、見せてほしいもんだー。


********************************


さて、つまり、修養があっての「品」ということになる。


修養とはなんだ?


それは、普通しなくていいもの、だと思う。


水に打たれる、長いこと座ったままでしかも何も考えない、

あるいは、誰も行かない高いところに登る、

あるいは、体を自分の思いから切り離して動かす、

あるいは、悪といわれることを受け止める、

あるいは、自分の生活を省みず他人に尽くす。


「しなくていい」の線引きは、

「”日常的”・常識的な、普通の生活を送ることに寄与しないもの」

とふつうは定義されるだろう。


それはもっぱら安定自己保存にしか、効果はないものである。


今と同じを保つためのものだから。


つまり、学ぶ、という、

発展あるいは減退、いずれか変化を生み出す準備、とは相容れない。


しなくていいことはしなくていい!、

というのは、

数学が人生に何の意味がある?、

というのと同じことなのだ。


**********************************


しなくていい苦労こそ、その人となりをつくるのだと思う。


どんな、しなくていい苦労を選ぶのか。

どんな、しなくていい苦労を味あわざるを得なくなったのか。


そして、そこから学んだり、気をつけようと思ったり、

あるいは、ぶっちゃけこう思うんだよ、と思うようになったり、

そんな、自分の中の変化に気を配りながら、

そこから、あたらしい自分を再生産しようとする態度こそが、


品の源泉ではなかろうか。



人は、自分の意志とはまったく関係なく、

関係する人々の意識の中で構成されていく。


大事なのは、そんな自分のありようをあきらめず、

得た経験や学びや反省を取り入れて、

新しい自分を常に生産しつづけよう、とすることであり、


自分を再生産する、という経験そのものは、

おそらく、しなくていい苦労をする、ことを通じて、

とても明瞭に感じられ、深く捉えられるようになる、


そう思うのであります。





雨しとど 湿り風 走り去る

自転車通勤をふたたび、はじめてみた。

決意をしてから、梅雨のさなかであることに気づいた。

天と風と地、という不変なものならばまだしも、
うつろう季節ごときに負けて、意思をゆるがせにしてなるものか、
と、むしろ決意を固くし、決行しているのである。

もちろん、会社についてからは、
ぬれそぼまり、パーマのうねりがいつもより多めになったこともあり、
気味悪がられたが、むしろ、私はそれもふくめて爽快であった。

走り抜いて着いたこと。
雨ニモ負ケズ、であったこと。
どんなかたちであれ、リアクションを得られたこと。

やらねば、なにもおきないのだー、と
走りのぼせ筋肉優勢になった頭で、思うのぼせよう。

まあ、再開したてだから、なにかとむやみに前向きになるのもよかろう。

大事なのは、ある一日の成果ではなく、つづけることなのだから。

******************************************************************

私の一番好きな移動手段は、歩くことである。
特に、登るのがすきだ。
山とかで、どうかしら、と思うくらいの斜面を、大股で登ると、
「おいおいスイスイだなぁ」と馬鹿に感心してしまう。
下りは楽だが、膝が痛いし、
バランスとスピードの妙な調整をしないとならんから、いまいちだ。

つづいて好ましいのは、自転車。
詳しくは後述。

そして次が、飛行機。
あの飛び立つときの後ろに引っ張られる感じが、幼稚園児のころほどではないが、
感動を呼び起こす。

で、自動車。
思いのまま早く動けるし、流れていく景色や、
気分によって走り方をかえられるのが、自転車同様よろしい。

あとは、スキーとか、ローラーブレードとか、スケボーとか、
器具に頼りつつも随意に動けるものがつづき、
おおよそ最後らにくるのが、
タクシー、バス、そして、近距離電車(特に地下鉄は嫌い)である。

*新幹線や特急、寝台、ローカル鈍行といった足の長い電車は、旅情があるので、好き。

ゆえに通勤だろうがなんだろうが、
電車は極力避ける。お断りだ。

つまらない好悪だけれども。

**********************************************************************

雨の日に傘をささない性癖と同様に、
自転車は、なんだか、世界と素直につながっている気がしてよいのである。

ぐっと踏み込むと、周りは風の音とともに素早く近づいてきて後ろへ流れ、
たらーっとしていると、ゆるやかにうつろう。

ふらふらしたって、大丈夫。
坂道を登りきり、知らない向こう側をスリルとともに一気に下りさることだってできる。
歩道も車道も自在に進み、たいがいの道を、野原も、隙間も走れる。

あんまり駐禁も切られないから、わりあいどこでも行けるし、寄り道も可。

自転車には、冒険という言葉がぴったりなのだ。
しかも、からだによい運動でさえある。

たどりつけるかなぁ、という走り出す前の不安も、
たどりついた後の、おお走ったぞ、という満足もステキ。

ズボンの裾が、油っぽくなることさえのぞけば。
そして、会社で着替えたり、汗臭さを気にしなければいけないことをのぞいては。

**************************************************************

つまり、行き帰りはものすごく楽しくなり、
肝心の会社勤めそれ自体は、もさくなる。

この、会社でのもったり感を、どう解消したものかが、目下の課題ではある。

動きながら考える、
自転車での移動とおなじく、
自転車通勤という新たな習慣についても、
しばらく動きながら考えていよう。

いまは、ただただ楽しい。
それはとてもいいことだ。

タブラ ラサ

うんうんうなり、快と精進を求めて、手元にきた仕事を、
できるだけよい形で世の中へ渡そうと、続けてきたら、

徐々に役割や責任や期待の比重が変わり、
そして、後進を励ます役割も生まれてきて、
先日、全く素の新人の指導係を拝命した。

ここのところ、副業へのエクステンションも多かったが、
本業のエクステンションもなかなかである。

まだ1日も接していないが、
少し自分が入りたての頃を思い出したりした。

弊社は、人以外の機関を特に持たず生産している業態なので、
研修にはわりと労を割いている。

そして私が入ったときは、いろいろ世の中が変化を始めたときでもあり、
ことさら、生産部門への配属者に対しては、
新しい研修の枠組みを設定していて、
結果、入ってから、全体研修を1ヶ月、
そして、生産部門での研修を3ヶ月、
と、若葉マークにとってみれば、
いったい生産しに入ってきたのか、研修しに入ってきたのか、
皆目見当のつかない、長い120日間を過ごしたのである。

普通、長い研修、といえば、
たとえばSE教育とか、たとえば工場研修とか、そんな実的なものを
想像されるだろうが、
我々何せ、アイディアを売り物にする仕事なので、
いろんな課題を毎週与えられ、週末、ヤクザみたいな役員連にプレゼンする、
という、いうなれば度胸の鍛錬のようなものを、続けたものである。

その結果、配属される前に、すっかり、
普通の3年分くらいの、辛口批評や敗北感や挫折、時々の栄光、を経験していたため、
入ってすぐに指導係から、「あれ、何年目だっけ?」と訊かれたりしていた。

野暮も揉まれて粋になる、
それに類する経験のとっかかりを、もうすでに進めていたのだった。

だから、別にまわりに育成の順序などを悩ませなくても、
雑草として根ははり始めていたから、あとは種の生命力に任せて、
生えるに任せればよかったような、そんな感じだったかと振り返って思う。

そう自分で思っていても、実際は違ったのだろうな。

********************************************************************

さて、私の隣にきた彼女は、
湘南の大学で、院を出て、2ヶ月の研修を経て、おいでになった。
この職種を希望されていたようである。

最近はもはや、女性の生産力は男性を軽く凌駕しているように思えていて、
それが現前しないのは、生産力を現実化する仕組みの方がうまくいっていないからです。

何倍もの競争を経て入り、何十倍もの競争を経て配属されたのですから、
種の生命力は確かなのでしょう。

これからは、白い新しい世界に、どんどん芽をのばし葉を茂らせ、
花を咲かせたり新しい種を生んだり、と、
彼女なりに育っていくのでしょうね。

すこし、その白さがまぶしく思えて、
私が陽の光を遮ったり、大地の養分を余計に吸い取ったり、雨風を吹き廻したり、
そんな、白を灰色にしてしまわないよう、
よくよく幹を太く育っていくよう、
祈り始めました。

ひとが命を思うとき、やはり、祈る以外の善策はないように思うのです。

判断停止 本質直観

自己中心主観からの脱却を考えつつ、特に何を書こうとも決めずに、

このURLを打ち込んでいて、驚いた。


epoche


エポヘーである。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


現象学用語であるが、「判断停止」という思考態度のことで、

先入見のような、ものを見て考えるうえで素直さ率直さを損なわせる、

すべての滓や垢や偏向から自分自身の思考を解放する、

というようなものです。


何か目の前に出されて、

「あー、知ってるよー」とか

「こんなの見たことあるなぁ」とか

「なんか○○っぽいよね」とか

「うーん、あんまりわかんないなぁ」とか、


そういう、その出されたもの自体を見ない、

ほかとの関係とか自分の気分とかを、

ものを見るにあたってのノイズとして捨象するのです。


まるで立体視のように、強い意志が必要ですが、

大学時代は、フッサールの著作に導かれて、

このような絶対ゼロ地点からものを見る態度をがんばって身につけようとしていたのでした。


考えようによっては、もっと純粋に自己中心的な態度になる、とも考えられますが、

しかし、世界と素直に向き合うということですから、

もはや、自己中でもなんでもないようにも思います。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


さて、私は目下、エポヘー中です。


その次にくるのは、本質直観。


「ドーーーーーん」な、喪黒な感じのことではなく、

じっくりつぶさに純粋に、ものや事態を記述していくこと、

それを通して世界を再構成すること、その作業すべてのことです。


どんな読み解きをしていくのだろう。


絶対的ゼロ地点に戻るから、何も約束されないのが怖いですが、

それもそれ、あらたな旅路に純な気持ちに、


エポヘー


して向かいましょう。


ううう、それにしても、響きが間抜けだ。


最後にも一度、


エポヘー。

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