逸脱と研鑽の公案 -2ページ目

自己中心世界

気がつくと、とても、自己中心的な考えや気持ちやことばに、
すっかり支配されきっていることに、気付いたのです。

きっと、氷のように、感じられているのでしょう。

私は、生来、口が悪いというか、デリカシーがないところが、
結構あって、思ったことを、できるだけ正確に言おうとすることがある。

それこそが、言葉の研鑽だ、と思ってきたのも事実で、
ここのところ、生まれてこの方なく、
ことばを出し記し遺すことが多く、
また、一人でものを考え感じ動くことも多く、
さらに、禅寺に入り浸り、孤高と自然と向き合ったりして、
結果、たいそう自分世界のみを、絶対化してきているのでしょう。

人にやさしく、自分に厳しく。

言葉だけは学び記していても、
今、これが、実践できておらず、

人にきびしく、自分にやさしく、

そういう生き方を、言葉の選び方同様に、しているのです。


自分に厳しくあること、人にやさしくあること、
その真意や極意が、まったくつかめなくなり、
実践とエラーこそがすべての始まりとはわかりつつも、
気持ちがついていきません。

そのことばや動きが、人にどう評価されるのか、
もしそれが気になるのであれば、
自分自身で評価することをやめて、
思い切りやれば良いはずなのに。

結果うしなったのは、素直さや率直さでしょう。

自己撞着はよろしくない。

いろんなものを、取り戻せなくなっているので、
また、はじめから、はじめなければ。


太陽力と、修業の歩み

春がどうやら暮れようとしているようですね。


ここのところ、自分が移動しているのか、日本が私の前をすごい勢いで動いているのか、

だんだんわからなくなるくらい、あっちいったりこっちいったりしているのですが、


頭の中に残るのは、街の風景とかではなくて、

電車や車の窓から、あるいは歩いて見かける、樹木の花と、

逢った人々の様子と、空の色です。


土曜日、新幹線からは、桐の花が見えました。 紫でした。

京都は曇りでしたが、空の真ん中はあと少しで開けそうで、白金に輝いていました。


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この春は、はじめから終わりまで、すっかり夜型の生活だったので、

いろいろな書き物が全体的に、ほの暗く、すこし痛切・切実な語り口で、

昼間読むとなんだかうるさく思えたりします。


そのときの自分を搾り出したコトバなので、うそや虚飾はないけれど、

その分、自分の底の浅さを感じ、

んー、もう少しゆったりと構えられんもんかいな、と思うのです。


たぶん、今の私には、

沈む太陽をゆっくりながめたり、

昇る陽をながめるために夜から山に登り、頂上で待ったり、

そんなことができるだけの、時間ののびやかさが欠けているようです。


それもきっと、つまり、太陽をそれだけ浴びて暮らしていないから、

ではないかと、思い至りました。


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行かれたことのある方ならお分かりだと思いますが、

禅寺の禅堂は、ほの暗く、地面からくる凛とした涼やかさに包まれ、

言ってみれば穴倉のようなものです。


そして、修業所の中の、建物や廊下、人の衣服まで、

ほぼ黒と白しかない、モノクロームの世界です。


まるで、太陽を捨象しているような世界。


簡単に捉えれば、このように間をとりもつ穏やかな色彩のない、

緊張感と静謐さのある世界こそ、思索のゆりかごに感じられてしまいます。


入門したてなら。


でも、庭をあげるまでもなく、まわりは自然に包まれていて、

季節の移ろいとともに、自然の色彩は変化し、

それは樹木や空気や空の色に、豊かに現れます。


そして、そこから、自分の感覚がふくらみ、心がすこしずつ育まれていきます。


うそや虚飾のないからこそ見える、豊穣な時間と彩り。


まだ、すぐに、とはいきませんが、時間に対してうちとけること、

これが夏までの思索のテーマにしようと思います。


時間に対してくつろいで、逍遥すれば、

つぎのコトバたちが生まれてくるように、

太陽の光をひさしぶりにきちんと浴びながら、おもいました。



空即是色、色即是空。


禅味が抜け、世俗くさくなった春、自律のため寺へ

ああ、また、すっかりなまけてしまいました。



言い訳をすると、前に書いたとおり、片手間文筆業がありまして、


私の中の「書きたい欲」はもっぱらそれに取られていました。



雑誌とか、結局捨てられるのね、と、波打ち際で思い、寺に戻ってまいりました。



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そんなセンチメンタルな春気分は置いておいて、


さすが長文ブログだけあり、読むのに骨が折れるらしく、


数少ない読者のみなさんからは、「今度アップしてね」といわれるのみ。



じゃあ、ということで、時として沸き起こる日々の雑念については、


mixiをはじめまして、そちらでコラム式につづっています。



知らない間に、いろんな肩書きを身に受けていて、


それも問題のタネだから、いくつか整理し終わり、


もっぱらプライベートな発信環境に戻ってまいりました。



また、いつかまとめてゴリッとした書き物もしてみたいのですけれど。



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気づけば30代。


これまでの経験と、まだ若い気で居る自分と、世間からの「若年寄」視線に囲まれて、


なかなかうまくいきませんな。



まさかそうなるまい、とおもっていましたが、先達の言うとおりに、30のぬかるみを歩いています。



といいながら、いくつか自分のことが自分でわかるようになってきたのも確か。



前といい、今回といい、自分話で恐縮ですが、たまには。



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私、このGW、すこしノイローゼに嵌っておりました。



われながら、普段の感情の起伏は少なく、不健全に悩むことはあまりないし、


あってもおいしい酒を飲めば終了、が通常ですが、


今回は珍しく、考え悩み動き悩み、という悩みに嵌ってしまったのです。



この2ヶ月ぐらい、かなり真剣に大事に積み上げてきたことがあり、


それ自体が、割と自分の魂を込めて進めたことで、


いつもなにかしら考えていました。あまり悩まずに。



ところが、だんだん、思考・感情・行動の3つか、これに関してバランスを崩し、


ちょうど身の回りで絨毯爆撃のように動揺する出来事が続き、


寝不足マラソンが大絶賛実施中だったこともあってか、


すっかり、ココロの振り子が極端にふれてしまった。



まだ、鉄人には成れていなかった。



結果は、自分の中の集中力がなくなり、


考えること感じること動くことが、すっかり分離分解してしまったあげく、


緻密な積み上げ作業だったはずか、


なにがでるかお楽しみ、思考・感情・行動のルーレットゲームになってしまいました。



そして、最後は、自爆、粉砕し、ひとつの終わりに。



気がつくと、はじめた2ヶ月前と、まったくおんなじ所にもどってしまった、


いまやただの、元の木阿弥でございます。



悩みの跡と、胸の疼きと、疲れの3つのエヘン虫みたいなのを残すのみ。



「あれ、元に戻ったぞ」と思ったら、まるで悪夢から醒めたみたいに、


バランスが戻り始めました。



自爆・粉砕の理由は、


急いで積み上げようとし、急いで結論をだそうとした結果、


思考・感情・行動のスピードが早まりすぎて、


どうにも調和できないところへ行ってしまった、ということだなと、振り返って思います。



そうなるきっかけ、原因は、外からやってきたのですが、


それも含めて、ひとつの学び、定めとして、なるべくしてなったのかもしれません。



ほんとうに、そう。


もののあはれをおぼえます。



自分のスピード感がきちんと回復したら、また、積み上げ始められるといい。



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東京の高いビルで働いていると、なにごともクレイジーなスピードで進み、


ずんずんずんずん、多様多彩多段階なものたちが、並行して動くので、


頭や体も、スピードアップしていきます。



それが仕事上のことでならいいのですが、


どうにも、自分の生をつくっていく思考・感情・行動の基本要素が、


環境ストレスを無くそうとか、だんだんに、スピード感をあげてしまう。



ほんとうは、そうあるべきではないのですが、


生のスピードが、いたずらに早まる。



昨日の私と、今日の私の間に、そんなに差はないはずなのに。



特にこの2ヶ月は、京都に行ったり、福岡に行ったりすることがとても多く、


彼我の時間の流れの差を感じながら、でも行き方は音速級で、


そのスピード感の揺らぎたるや、目くるめきを超えて、首にきます。



そして、私のスピード感は、すっかり狂って早まって、


すぐ、すぐ、すぐ、と思い動き、結果、あんなに緻密に積み上げていたはずが、


歪みや隙間の多いものになり、どうにもならないものへと変貌してしまいました。



それはそうです。



どんな名曲であっても、スピードとテンポがひたすら早まれば、


最後には醜悪なノイズに化けます。



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自分の生のスピード感に、常に気を配ること。


これって、ほんとうに大事な姿勢だと思いました。



携帯電話やネットの普及により、距離感は変容し、個人の生活世界の輪郭も、地理を離れて


たいそう拡がっているようです。



それは文明のなせる業ですし、享受すべきところは享受する。



しかし、距離感や自分がアクセスできる範囲の拡がりは、


同時に、生のスピードやリズムを早めることでもあります。



少なくとも、まだ黒電話があたりまえにあったころ生を享け、


国内飛行機だってプロペラ機だった、私にとって、


もともとの生のスピード感覚は、もっとゆるやかだったはず。



どうも、スピードが速まると、思考と感情と行動が三位一体でなくなる。


空中分解する。



あれほど魂を注いだこの2ヶ月の所産は、


その結果として、そして無意識の自分への警告として、


いまや遺構となり、はたして、火が点るのはいつでしょう。



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まずは、生の基本、


食べるスピード、飲むスピードから、気をつけよう。



早い遅いが問題ではなく、気をつけることが大事のようです。



30代、新しい、成長の時期。



なんだが、入山試験の回答披瀝のようになりましたが、


こうして、自分の堂宇で自分を平たく掘り下げて、


コトバを彫りこむのは、とても大切ないとおしい時間に思えてなりません。



こんな生臭い話の終わりには、この喝がよいのかも。




グローイングアップぢゃ!

美酒の向こう側にあるもの

今晩は、皆さん。
久々に、庵に漂い着きました。

最近、とんとご無沙汰でした。すみません。

こんな低姿勢な書き方も良いかもしれない。

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ここのところ、久しぶりに、手で文字を、文章を綴ることが多い。
どういう風の吹き回しかこのひねくれ者に、文章を書いて、書け、という要請や恫喝があるのである。

仕事では、いかに文字・紙数を減らしながら、
ほんとうに大事なアイディアや、ディティールの輝きを伝えきるか、に血道をあげていて、
時折わき起こる文章作成欲求は、ブログに流し込むことで佳しとしていた。

んが、文章である。
時として、童話だったり、書評だったり、時評だったりするのだが、
仲介者はとても無表情に、句読点の量と文章構成の矛盾などを数点指摘しながら、
その場で直させ、持ち去る。

まるで、太陽の光を浴び、水分を調達して、
せっせと栄養をつくり、栄養は持ち去られ、一緒にできた水分を気孔から出す、
樹木の葉っぱにでもなった気分である。

物書きは機関なのだ。仕事だから。

そんな産業機構に知らない間に取り込まれながらも、
文章を書き連ね連ね連ねまくることにより、自分の言葉の志向性と好みに気付いた。

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・生活=「漂う」という意識に満ち満ちていること
・行為の背景に、感謝や愛情がないと、苛立つこと
・世の中の「普通」そのもの、そして「普通」からはみ出たもの、「普通」が歪んだ瞬間、に
 とても興味関心を持つということ
・私がわたしとしてあるのは、もっぱら「言葉」に依るという意識が強いということ

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何のことだか、とお思いかもしれない。

自分を観察しながら、そして、
たくさんの文章を短期間に書いて繰り返されるコンテクストを整理して、
気付いたこれら。

ほんとうの私のことかどうかはわからないが、少なくとも、
現時点の私は強くこの5点に依り、縛られ、滞っているようだ。

今日は、この2点目について、軽く触れる。

私、実は、お酒に呑まれたことがありません。
お酒はたくさん飲むし、酔っぱらって手元が危うくなったり、寝ちゃったりすることはありますが、
「酒を飲むこと」に酔い、さらには「酒でいつもと違う自分になろうとすること」を飲む動機とし、
その結果として「なんだかわからないがぐちゃぐちゃ」な状態になる、
そんなことはないのです。

これは、一つ自慢できることかも。
それはそうとして、なぜそうなのか。

目の前に有るのは、泡立ったり、赤かったり、香しい琥珀色だったりする物体(液体)ですが、
すべて、人と大地と天候がつくるもの。

私が好ましいと思い口にするお酒は、私の口に入るまでにとても多くの人たち、物事を経てここに有る。

人の想いや物事の具合、そんな不定形な、普通は時とともにうつろい感じられなくなるコトが、
連なり組み結んで、目の前のおいしいお酒として受肉している。

少なくとも作り手は、自信と不安を抱きながら、「おいしく味わってほしい」と思っているでしょう。

伝え手に責任があるように、受け手にも受け止める責任があります。
お酒を飲むという行為は、作り手/伝え手のココロを、体で受け止めることであるべき。

恥ずかしいことですが、どこかでこの意識が働いてしまうのよ。
だから、闇雲に、酒を浪費する、暴飲するということをしない。

じゃあ歩くとか、息をするとか、見るとか、そんな単純なことでもそうなのかよ、と言われるかもしれない。

確かにすべからくそう思っているかと言われると分かりませんが、
何も感受することが無い時間は、とても無駄に感じ、苛立つことは事実です。

三十路になると、老いを意識するし。

浪費するということは、身を疲れさせ萎れ、自分の若さを喪うということです。
今はそう思えてなりません。

美酒が美酒であるのは、おいしくいただく気持ちがあるからです。
ただの「酒」として飲んでいたら、美酒は美酒とは思えなくなるでしょう。

美酒を美酒として受け止める気持ちがあれば、
作り手の想いや、美酒パワーなどが、体にきちんと入るはず。

そうして、強い一歩を踏めるはず。

新鮮な体験は、新しい言葉を生みます。
一体全体、わたしはこれからどれだけ新しい言葉を、腹から出せるだろ。

「どんちゃん騒ぎ」

最近生活が不規則である。

布団の中でまどろむことが何より好きなので、睡眠の深さが、
私の生活を律する重要なキーであるのだが、
ここのところの不規則な出張や、不規則なお酒や、季節の変わり目のせいか、
浅い眠りで早起きしがちである。

しかたがないと今日は諦めて、カーテンを開け放ち、
掃除をしたりし、今はテレビ見つつ、宮沢章夫のエセーを読んでいる。

で、でくわしたのが、この言葉。「どんちゃん騒ぎ」。

ひさびさに読んだし、ひさびさにこの言葉が引き起こすイメージ世界が
頭に浮かんだのである。

これまで、したことがないが、しかし、テレビ等でその喧噪と嬌声と空気は
なぜかはっきりとしている。
やや、すえた匂い、ヤニと薄い加齢臭が、電球の橙色の光の下で
キビキビと流れているそれ。

これまでしたことがないのは、「まだ俺、子供。」意識がどこかにあったからだと気がついた。
別に、望んでするべき品の善いことではないけれど。

気がつくと、もう三十路。

「子供意識」リミッターを外してもいいのかもしれない。
したことのないこと、それがたとえ拙劣なこと、野卑たこと、であったとしても、
これまでの三十年の「子供意識」城壁の中で培った自分自身を、
初めてリアルな世間にさらけ出す行為にちがいない。

したことないことは、どうも、たくさんあるように思う。
世間を知ってやる。

撃ちてしまやん。

あああー、せめてかっこいいオッサンになりたいものである。

寒い男だらけの夜 月も見えず 耽読しつつ 酒は減る

知らない間に、人生の岐路に立っていると感じた。

あと一年しない間に、本当は、自分の環境は様変わりする。
実は、私は、来年1月より、渡欧しみずからの足下を改めて固めようと思っているのだ。

悩みは、果たして今の環境をどれだけ持ち込みうるかである。
変化のための渡欧であり、そのために、自身にも変化が必要だから。

はたして、いったいこの一年無いあいだに、どれほど手のひらから零れ落ちていってしまうのでしょう?

すべては、未来のみぞ知る。嘆いても、予測しても、何の役にも立たない。
変化の準備のためには、今の自分を、未来のために、おもうまま変えていくしかないのだ。

そうこうして、身近なところではオリンピックが終わった。

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オリンピックについて多くを語らないが、今回のそれで私が深く感じたのは、

オリンピックは人類の資産であり、
栄光はひとえに、人類の努力と挑戦の果てにある、
たったのひと時を、いかに美しく過ごすか、それにかかっている、
ということである。

貨幣価値には変換しえない、ただ感性にのみ訴えかける、
一瞬の輝きに、評価が与えられていた。

それは、ほんとうに、切なくも正しい、人類の人類に対するエールであると感じた。

だから、今後一切、特にスポーツについて、我々は私利私欲、国威高揚の意識を破棄すべきである。

美は、理性や悟性と同列であり、かつ、それらに刺激や緊張を与える存在であるべきだ。

きわめて近代的感性であるが、しかし、五輪の思想も近代の所産であり、
現代に生きる我々は、近代の所産を畑として、自らを養い明日へ新しく日々生まれていくべきである。

そこには、商業も、産業も、見栄も、入り込む隙間はない。

自身そして彼をサポートするすべての者達への祈りが、
そこにひとひらの時とともに変化する花として結実する。

そこに、スポーツという、二度と繰り返すことのできない関数のひらめきがあるのであり、
そこにこそ、我々はすべての意志・感動を懸けるべきである。

それが、一体どこの国の人、どこの誰、であろうと、関係あるであろうか。

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そして、我々は、意志や努力や、祈りの果てとしての美を知るのである。

果たして、私は来る自分に対して、どれほどの意志や努力や、そしてその祈りの所作の果てを
生み出すだけの運動を致しているのだろうか。

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ところで、最近、身近な友垣と、大正~昭和初期について関心を深めている。

明治は、幕末という万人の関心を集める融合炉の第一生産品であるから、
意外にあらましを理解している。

しかし、今に生き、昭和の後期に育った我々は、特に、大正後期~オイルショックまでの時期を、
「忌まわしい時期」「泥濘のうちに現代を模索した時期」として、
曖昧な者としてとらえているにすぎない。

どうして、これほどに、私たちの多様な多種な祖先が、それこそ、それぞれの前進のために、
身命を費やした時期の知見が薄いのだろうか。

この時期を適切に評価しないうちに、私たちの生も、私たちの礎も、無い気がしているのだ。

教育的歴史への反省を確認することのみでは足らない、
この時期の原罪も汚泥も輝きもすべて、受け止める態度と度量が、私たちには求められているはずだ。

それは、時間の流れを受け継ぐ者としての、当然の意識である。
そう、思うようになった。

日々、各国のフロントランナーと交わるうちに。

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のぞむべき、私の未来は、かようなそれぞれのバックグラウンドと真摯に突き合う各国の今後を担う
人々とのふれあいである。

さあれば、いかでか、私がそれをせざるや。

そこには気概や誇りが重要とはされていない。
むしろ、そこで何らか育まれ、打ち捨てられた、意識/歴史の樹をどう受け継ぐか、の意志である。

意志こそ、明日を拝み向き合うのに必要な態度だ。

そう、身近な祖先の生き様から学びつつある。

昔の私が、見えないようにし、さけてきた、過去の人々の意志に向き合うこと。

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最近、志ん朝の死後、志ん生の口伝本やらの、熟成された口語のテクストや、
宮本常一をはじめとする、生の史学者の所産をあらためて学び思った。

あいまいであるが、しかし、一本気な今日の偈はかくのとおり。

目をそらすことは簡単だ。しかし、それは、その目をそらした時間に対して、浪費と言える。
目をそらさず、果たして、何を感じるのか。
涙や感情の推移といった、陳腐な結果を超えて、今の自分に活かす、
そういう、たいそう叙情的な態度とまなざしから、
接ぎ木し遺し発展させる、われらが歴史が生まれる。

体を歴史に対し賭することから、時間は豊かに育ちだす。

そう言いたいし、今は是非そうであって欲しいものだと思う。

はたして、私は、どれだけ、このたいそう豊かな文脈を活かし、
人生を太くすすめるのであろうか。

楽しみである。

今晩は満ち足りた

徐々に日記、あるいは、「こころにうつりゆくよしなしものをそこはかとなくつづる」ものとなった、
この寺の記録である。

いまはちょうど、修業の休みであるので、日常と戯れている。

さて、今日、夜半頃に同居者より電話があり、「今日は風呂が入っているので早く帰りたまえ」とのこと。

すべての波乱を終え、もはやなんら逆らうものをもたない、うつろう私なので、終電ごろ帰宅した。

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わざわざ電話したのは、風呂は佳いから入れ、というのと、
温めた風呂が冷める前に入らねば燃費が悪い、という刹那功利の入れ子感情なので、
帰宅した私は、生活費を共有する中での、その温情と冷酷に、もちろん逆らえず、すぐさま風呂へ。

脱衣所には、誰かこれまた、どこかからせしめた「防水ラヂオ」が置いてあったので、
ああこれは長湯がよろしかろう、と、モノの素性に改めて想いを馳せつつ、読むべき本を探した。

ちょうど、しばらく放っておいた鞄の中に、読みかけであった「日本の経済格差」という新書本が。

ということで、音楽だらけの局に針を合わせ、温かい風呂へと。

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事実をできるだけ客観&批判的に淡々と解析/読み解く文脈は、新書の醍醐味である。
そして、読むことが学びと直接つながる。

昨今、政局化、つまりは、駄弁化している「格差」のお話であるが、
冷たく見ると、別に日本で最近格差がひろがり始めたのではないということを知る。

こういうことらしい。

戦前大きかった格差が、戦後の日本の経済力の極端な低下に際して、
戦後処理や復興過程で、格差=貧困層の発生となるから押さえられ、
そして、そもそも日本円の価値が国際的に低かったから、
ちょっとやそっとの額の差では、個人の経済活動上の差も生まれず、
あくまで「結果として」そして「非常事態処理」として、経済力の平均化が起きた。

しかし、実体経済の回復、そしてそれに伴う、
所得が資産化しやすい、所得の比較的大きい層の保有資産価値向上、
さらには、資産運用益の拡大や、
生活補助サービス業の拡大に伴う、高所得層の共働き化などが、
成長期以降継続的にあり、
どんどん経済力格差は拡大していた。

もともと、社会制度がこの変化に追いついていなかったため、
変化を実態に合わせて行おうとしていろいろ最近やりはじめたら、
「あ、格差ってあったのね」という、一億総中流幻想からの脱却が起きたのである。

つまり、格差批判はつまるところ、経済力の高い日本経済批判であり、
乱暴に言うと、格差なんてヤ、とすると、それはじゃあ日本円の価値下げましょう、という話である。

むしろ問題なのは、大企業と中小企業の勤労者の所得格差のあまりの大きさ、
そして、さらに、男女間の所得格差の大きさだと思われる。

ということを、1時間半の温浴で、少しわかった気がしたのである。

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風呂上がりには、ビールである。

誰かがそう云っていたし、実際風呂の有無は置いておいて、ビールは一日の終わりにも佳い。

なので、リビングでテレビをつけて、ビールを。

テレビでは、NHKの世界遺産探訪シリーズの「ドブロブニク」編をやっていた。

思わず見入ってしまった。

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ユーゴ時代にこの街を訪れた父親が、美しさに打たれてか、
帰宅後、「ドブロブニク、ドブロブニク」と謎の言葉をうわごとのように云い、
そして、謎の自作ソングを歌い、
見たくもないのに、撮影した写真のスライドショーを自宅をわざわざ暗転してやり、参加させられた。
さらに、遅れて届いた、父発父宛のドブロブニク絵はがきを眺め、嘆息していたのを思い出した。

そして、なにかと又行きたいと云っていたのも思い出された。

そして、チトーが死に、内戦がはじまり、「ドブロブニク大丈夫かな」と心配し、
セルビア軍による集中砲撃がはじまったニュースを、真顔でじっと見つめつづけていたのを思い出した。

確かに、地中海に面した岸壁のうねりの中に飛び出た、ゆるやかな岬と砂浜と砦からなる、
碧い海に紅屋根の映えるこの街は、美しいかもと思っていた。

そして世界遺産の街は、父の深い祈りのさなかに、瓦礫と帰した。

このテレビ番組は、その後、「危機遺産」認定された街の、
戦後の歩みを中心に編まれていた。

生き残った人々の手と伝承の技により復元されつづけ、
「危機遺産」認定が解除される。
しかし元通りにする意欲と平行して、瓦礫になる過程、なった後の写真を誠実に遺そうとする人も居る。

さらに、まだまだ街を見下ろす丘、元々風光明媚な観光スポットであった場所、しかし、
セルビア軍が見下ろす街へと砲弾の雨を降らせた、その丘は、
侵略から守ろうとした人々の命の痕跡を残す瓦礫の廃墟として残り、
復元を静かに待っている。

そんな、
時間、人の想い、人の技が幾重にも積み重なる、ドブロブニクという街を伝えていた。

また、別のことも。

この街自体、民族的にはクロアチア人が多かったが、しかしセルビア人も居て、
でも、中世以来、自治と自由を尊んだこの街のすべての人々は自ら「ドブロブニク人」と呼び、
その気持ちは、たとえ街を灰塵に帰す民族主義者の砲撃の中でも生きていた。

生き残ったセルビア/ドブロブニク人は「街を愛すれば、その人はドブロブニク人」という、
途方もなく、深く、愛しく、辛い、言葉をこころをこめて伝えようと、カメラの前で輝いていた。

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なるほど自治/自由という、文化や思想を最も豊かに生んで育む、この街に流れる魂は、
決して、ただ白黒つけたい、ただ否定と肯定しかしない、民族主義を遥かに超えていると、
ほんとうに思った。

だからこそ、私の父親は感応し、愛おしみ、そして、祈り涙をながしたのだろう。

でもまた、思ったのは、この確かさや豊かさ は、戦火にさらされて改めて明確になったものである。

私たちは、暴力・失敗・喪失を疎み/拒み、太平楽を佳しとするがしかし、
その良さは、頭だけでは決してほんとうの理解はできず、その体験をし、祈りを深めて初めて、
価値がわかり、生活の奥行きを深めることができるのだろう。

この経験は、悲しい、しかし、強いものだ。

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私はこの夜、身内の格差や差分を考え、社会の外的/内的差異との葛藤と克服、
そして、自治自由自律から生まれる豊穣さと、それを確かに感じる為の喪失や失敗の意味を感じた。

なんと豊かな夜なのだろう。

メディアは、享楽をあたえるものではなく、頭とこころをかように滋養できるものである。

なんだか運が良い。
風呂が沸かされたから生まれた、冷酷な温情に感謝を憶える。
ノーサイドのゆるやかな緊張感も、時に乙な夜を結ぶ。

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そして、今は、こんなことを書いている間、家の猫とずっと遊んでいる。
彼女もまた、愉しい時間を過ごしている。

今日は昨日よりも暖かかった。
明日はどうだろうか。

私は、冬が好きだ。
寒ければ、動いたり、考えたり、着込んだりして、暖まればよいのだから。

自分を冷ますよりも、温めるほうが、なんだか、ほっとするのである。

公表と責任

最近、新聞をとろうかな、と思い直した。

かなりの情報はY!Newsから昼夜問わず取れるし、
むしろ、知りたい情報もネット経由で恐ろしく大量のアーカイブを参照できるし、
と、5年以上思っていたが、ここにきて最近新聞っていいよなと思う。

一つは、テレビもネットも、
スピード勝負の無吟味/無責任/享楽性高い情報の乱発が、
ことこの文化爛熟期である日本において、たいそう顕著となり、
ゆっくりと、印刷物を総覧するという、
「固形化した情報との交わい」への渇望が照かになってきているということだろう。

そして、一昨日のコメントでも書いたが、「覚悟」というまなざし/姿勢への重視感が、
私の中で高まったからだと思う。
すくなくとも、書いた物がリアルに印刷される者と、単に垂れ流しなにも残らない者との、
覚悟や含蓄の差はあると思う。

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Blogを書いていて何ではあるが、公表には責任がつきまとう。

学校時代を思い出そう。
手を挙げ、意見を言うことは、特に中高時代、さらには、大学時代は、しんどかった。

それに比して、小学時代は容易かった。
思ったことを言えばよかったから。

思う>手を挙げる>指名される>云う>反応がある>終わる

このモデルは、実は現今、あるいは伝来の、テレビのモデルである。
番組が作られ/番組の中で取り上げられ、発声され、終わり。

たとえば、「思いっきりテレビ」を取り上げよう。

毎日毎日、健康健康と云い、さらに多様な「健康にいいもの」をかれこれ幾歳月語り続けている。
しかし、その都度登場する、教授や研究者や体験者、相互は決して相容れないことが多かろう。
それでもなお、「健康」という「切り口」で、新しい「切り口」から出る液を、分析/拡大して伝え続けている。

要は、自らの一貫性ではなく、その都度の「確からしさ風」が重要であり、
なにしろ「健康」は「お金」「将来」にいや増して、生において重要ファクターと思われやすく、
結果、最大多数を充足できる情報として、日々、矛盾や個別間議論は捨象し語られ続ける。

だが、ものごとの「最大多数」とは「最小希釈」の言い換えであると断定してもよろしいと思う。

つまり、みなが納得/安心/受容できるものは、往々にして、みなが「まあこれくらい」と、
主体的関心を持たず、周りを見渡しながら思うものであり、
そもそも”主体的関心なく””まわりを見渡す”ものだからこそ、うすーい、やわーい、ことに
すぐに陥る。

それが日常的に反復されれば、それだけ、希釈さの蓋然性は高まってしまう。

そう、テレビは、印象を残し、その記憶を物体として残さない故に、
即時性や目新しさを優位性として持つが、
同時に、反復や、瞬間最大多数化や、流動的であることから、責任性はたいそう薄い。

新聞は、印象を残し、実態を同時に残し、一日単位の区切りと、印刷面の豊富さを優位性として持ち、
その結果、残り、瞬間印象+継続記憶への配慮や、一貫性から、自責の念は強かろう。

まあ、実際、なんらか責任を回避する言い訳も自らで紙面を割いてできるメディアでもあり、
それを背景として、偏向主張も可能ではあるのだが、
主張に対しては、読者の態度で取捨ができるので、
あとは数有る新聞の中から、
信頼できる/主張に耳を傾けたい/その主張の取り入れ・確認が重要、と思われるものを選べばよい。

確かに新聞配達員の勧誘/集金/俺の顧客意識は副次的な面倒臭さではあるが、
それも、新聞を読み・選ぶ上での、読み手の選択意識の鏡として消化できなくないから、
よほど、望もうが望むまいが、情報をひたすら垂れ流すテレビとは、
選び手として自身が問われるので、よりよい時の過ごし方のようにも思われる。

新聞を読むということは、それが、主張拝聴と自己選択の意識と責任の上に成り立つ以上、
本当は、日々、他者の主張を体験し、それを鵜呑みにしない、
人の意志/意見への造詣を深めることになると思い至った。

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残念なのは、テレビはみずから時流という主張の総体の体現者と自負していることであり、
それを、我々はよいことにしているということである。

まったく、衆愚制そのもの、デマゴギー社会の有り様そのものである。

しかし、文化も時流も時代も時間も、実際は語られるよりも実質はもっと豊かで、
だからこそ、テレビをはじめとした、自己保存メディアの狡知を放って置いている。

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さあ、もうメディアのことはおいておこう。

ブログもしかりであるが、何事か、自分の意見を披瀝することは、まったくもって恥ずかしいことである。

営業活動や提案活動が、実際とても敬遠されうるのは、その恥ずかしいことをする、ということや、
恥ずかしいことを受けることが、正直しんどいからではなかろうか。

大事なのは、その中で、いかに今生きる自分を賭し、その瞬間の説得力や輝きに時間を費やすか、
ということである。だから、上記の発信する側の仕事が、価値や対価あるものとして依然あるわけだ。

少なくとも、自ら発することのない人であっても、
他者の云うことの、何が主張で、なにがそうでなくて、その人が何を伝えたいか、を、
きちんと聞く耳をもつべきでないだろうか。

いまや、発信者の代表者、メディアが、
自身の理想をかなえられずしかし勢いずいて、結果として何ら「信頼に足る情報」を流さない
このご時世で。

もはや、意見を疑う必要はない。
むしろ、いかなる意見であろうと、その語りを自身の尺度で評価すべきである。

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自分を他者、それも複数の他者に対して、ぶつける/申すことはつらくしんどいことである。
相手のことを考えると、何も言わない方がよく、あるいは、
あまり影響力のないことを言うのがよいかもしれぬ。

しかし、そこで伝えたい、という思いは成就するのだろうか。
しかし、そこで「私」の意志や意見はきちんと残せるのだろうか。次へ、行けるのであろうか。

人に伝えようとする以上、確かに自分が伝えるべきことを考え、自ら意見し、それに責任をもつべきである。
それは、その瞬間の自身の生そのものの純粋スケッチであり、
ヒトの生きた歴史を構成する大事な言葉になるものである。
その志ではじめて、風説でも伝説でもない、リアルな歴史が生まれるのである。

公表しない、ということは英断ではなく、公表すべきことを正しいと信じ、
伝わることを切に祈りながら伝えることこそ、英断であり、責任のある態度である。
それ以外の情報は、実は、そもそも聞くに値しないことだ。

公表には、このような責任が伴うべきだ。
責任を伴うつもりのない発信は、ただのノイズである。

ここで、今日は締めくくろう。

うつろう私に、地方裁判所から手紙がきた

私、名前に「哲」が入っている。

それも、この路にたどり着いた一つの理由なのだろうが、
かなり小さいときから、我が家では、付き合いの有る本屋にて「月1冊好きな本をツケで買える権」が
与えられていて、その結果として、本をよく読んだ。

子供だから、かなり漫画の単行本なども買ったのだが、
そうそう毎月買うべき漫画もなく、
ポプラ社ものの「少年探偵団」「ホームズ」系やら、
ケイブン社の大百科シリーズやら、
学研のひみつシリーズやら、
といった、児童書をはじめとして、
単にタイトルが気になった実業書とかも含めて、
本は結構漁歩したようにおもう。

日本はとても出版文化が盛んだから、そうしてニッチな本の面白さなども感じ、
なにしろ「月1冊」だから、値段あたりの「書かれていることの重さ」も重要で、
思想書なども、国語力が一回りした高校手前あたりから、
むやみに手にした。わかんなかったけれど。

その中で出逢った一冊の書が、古東哲明氏の「在ることの不思議」という本であった。

やはり、ゴツさもある哲学系書籍なので、なかなかに書かれた意図は高校身分には読み取りづらく、
未だにすべて咀嚼できている自信はないが、この本の中で、日本語感性における「在る」ことの意識に
ついて、源氏物語をテキストに語られていた部分で、すくなからず、「日本語意識」の含蓄に触れた気がした。

”空蝉”についての論考だったと思うが、
「うつつ」という言葉のひもときがはじまり、「うつつを抜かす」この”うつつ”とはすなわち、
現在確かに自分が生きる/在る、という意識であって、
さらに古い言葉も漁ると、どうも「ウ」あるいは「ウッ」というのが日本語的な存在の表象と言える。
「ウ」は有にも通じていることも、その証左。
また、「うつつ」は、浮くや倦くや鬱や憂く、にも通じるように、よどんだ様の意識もあり、
つまるところ、流転する生のなかで、今に留まる「私」の自意識が、日本語的な「有」「現」のココロである、
というお話だったと記憶する。

確かもっと、上手くエレガントに書かれていたとおもうが。

まあ、時の流れの中で、日本語が脳内主言語でもある私は、うつろい、浮き世をいきています。

さて、今日夜半、まだ仕事中に、同居人より入電。

「あんた、地方裁判所からなにやら手紙がきてるよ」

由々しきことである。

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その電話後も仕事が続き、先ほど帰宅したが、
仕事中も、帰りながらも、この手紙の封を開けたときのショックを和らげるために、
「地裁からいきなりの手紙だから、刑事ではなくて民事だろうな」
「民事だとすると、とどのつまり、債務/債権間の問題だから、
 生活上いったい俺と紛争まで発展してそうなことってなんだろうな」
「主に、金銭的なことだから、そういえば、払うのだいぶ忘れてた、
 奨学金返還金とかかなぁ」
などなどと、脳内シュミレーションを行い、いざ、帰宅しドアを開けた。

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食卓の上には分厚い封筒。
なるほど、東京地裁から。

くやしいのでじっくり封筒を眺める。

すると、「執行取消係」からの発信であることを示す○がついている。

「あれ、俺、誰かに執行されたっけか?」
「そもそも、この係の人、彼女とかに自分の仕事をいったい何て言うのだろう?」

と、シュミレーションの甲斐あって、余計なことまで気がまわる。

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開けてみた。

8枚ものが、丁寧にホチキス止め&三つ折りされていた。

「通知書」
「進行番号 平成18年(進行)第00000号」
「債務者殿」
「別紙取下書記載の平成○年(ヨ)00000号仮処分命令申し立て事件は、
 同取下書が受理され、終了しました。」
「以上」

???????????????????????????????????

いったい、この取消係殿は、何を取り消したんだ?
そもそも、俺、何?

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と、続く紙達を読むと、
どうやら、私が学生時代に入っていた寮が、最後に廃寮したい大学との闘争にまで発展していた
ことに関係していたらしい。

なんて、懐かしい。そして、何年取消に時間がかかっているのか。ほぼ10年もだし。

確かに我々入寮者は、その寮の利便性とマジカルな魅力と、自治によるバブーフもびっくりな
自由&アナーキーさが素敵で、面白いから、説得しにくる教授とかと雪合戦はした。

で、大学側は財源のこともあって躍起になり、裁判沙汰にして、最後はむりくり取り壊したりしていた。

ここまでは、わかる。

そうして、10年近く時は経ち、私は6回以上引越をし、全く違う時間の過ごし方をしています。

そして、ご丁寧に現住所をどうにか誰か裁判所の人が調べ上げて、届いた手紙は、
「昔出してた明け渡し断行仮処分申し立てについて、関係ないところも明け渡しエリアに
 入れちゃってたから、その分をスンマセン取り下げてください、と申し立てられたんで、
 10年越しに取下を決めたから、お知らせするね」
という、取消係からのお知らせでした。

えーーーーーーー。

心配したのに。

「断行」とかいいながら、ツメが甘かった人たちが、出るとこ出ちゃったから、修正もキッチリせにゃ、
という、おおざっぱな律儀さと、
法の番人として、受け付けた物事は、結果が出たら、地の果てまで追いかけて、お知らせするぞ、
という、やみくもな正義感が、
確かにひととき当事者ではあったが、そもそもその「関係ないエリア」は、関係なかったですから、
という、実は当事者ではない私を追いかけていたのでした。

もっと、みんな、地球にやさしくなったほうがいいと思う。

今日思い立ち、書くことが生まれた

歳が明けた。

去年が去年になり、今年が今年になった。
昨日が今日になるよりも、少し前に進んだ気がする。
「一歩、歩いた」よりも、「何処そこへ行った」のほうが、区切りがよろしいのと同じ。

最近は、後進の指導が多いこともあり、一年を経ると、それだけ気が軽くなった気がする。

事実として、さまざまな諸先輩方を見ていると、
どうも、歳をとることは、その分、気が軽くなるべきなのだと思う。
そうでないと、年重も年若も、だいたい、やってられないだろう。

下にとってみれば、上の重しが軽くなるべきであり、
本人にとってみれば、体が渋く重くなる分、気ぐらい軽くなってほしい。

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軽やかな心地の、年重ねた方は、下にとってもありがたい。

年をとることは、よく、熟年までは責任が重くなる一方と語られるが、
「責任が重い」というのは、O型意識ではそれだけ抱えるということだけど、
本当に実際を考えると、
「配下や組織等の所作/所産への責任を取る覚悟を持つ」という、覚悟の量が大きくなることであって、
必ずしも、深刻で・気重で・重厚な、底深い深淵の上に立つ気分になれ、というのではない。

彼にとっても、その上下にとっても、覚悟するなら、
潔く覚悟し、軽やかに采配することのほうが、よほど有益であろう。

なるほど確かに、期待や、もたらされうる最悪の結果の度合いは、より厚みをもつのだが、
結果は本人がどうあれ、皆のがんばりと、世の風向きによるのだから、
何も悩んだり、重ぶることが重要ではない。

どれだけ覚悟ができるか、腹を据えられるか、
それこそが大事で、
重ぶる/偉ぶることではなく、いかにそれすら楽しめるか、こそが、
人の軽重を示すのだろう。

だからこそ、軽やかな年嵩が、心くすぐられ、より周囲の能力発揮に結びつくと思う。

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さて、さきほど来、「パットン大戦車団」なる映画を見ながら、
アメリカの教養ある乱暴者の考え方を参照し、思ったのは、
日本で、少なくとも江戸文化ころまでは、「覚悟」という意識感がとても重要だったのではないか、
ということである。

この視点から考えると、
たとえば、武士の切腹は、ことあれば自殺させる妙な辞令、とも捉えられるけれど、
「覚悟」文化維持のための、必要儀式ともいえるのではないか。

つまり、重要なのは生死そのものじゃなく、それぐらい物事を重要視しながら軽やかに腹を据える、
という「覚悟」してる生き方なのではないか。

「生き方」のために、死ぬ、ということ事態、たいそう逆説的な、
生き方の覚悟の証明だと思った。

つまり、普通に仕事などをして身分(=社会的生)を過ごす日常があって、
日々ノーマルに生きている。

だが、その裏側には、「名(=身分)を汚すしくじり」を生をもって直ぐにあがなうぞ、
という覚悟があり、
その覚悟の花道の終わりには、切腹があるのではないだろうか。

上   「ということで、わかってるよね」
本人「はい」
上   「じゃあ」
本人 そして、切腹

という直切腹、なのが、日常の背景にあったのだろう。シンプルに考えると。

で、日常の日々は、ふつうにすぎるものである。

この軽やかな覚悟感って、現代とは異質であるが、
しかし、その軽やかさ加減は、なんとも含蓄がある。

実際は、「俺、死にたくねー」とか、「いや、あれは俺のせいじゃないです」とか、
いろいろあったんでしょうが、すくなくとも、世の中のルールとして、
「軽やかに、覚悟せい。それが、美」というのがあったんでしょうな。

武士のメンタリティとして、「我が身ではなく、名こそ惜しけれ」といいますし。

別に現世において、切腹というアクションは、名ではなく生そのものが大事なため、
「頭がおかしい」ルール外の出来事ですが、
覚悟との向き合い方は、よい参考になると思います。

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さて、パットンに触発されたこのお話の背景には、
「軽やかな覚悟感」とともに、どうも、日本文化の特徴らしい、
「生きる者のみへのまなざし」というのがあります。

対義語としては、「死せる者へのまなざし」となるのですが、
どうやら、アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、あるいは、中国韓国にせよ、
多かれすくなかれ、「死せる者へのまなざし」が生活の中に多分にあるのです。

より正しく云おうとすると、”日本的”な意識は、
自分も含めた、生ける者のため、生ける者をより生かすため、にかなり集中していて、
欧州/アメリカ権威文化には、
生ける者ではなく、死せる者をより今に生かすこと、をも考えていると思われます。

たとえば、その証左として、
日本語文化には、かなり世界的にも特殊なことに、
詩は、叙情詩しかない、ということがあげられます。

詩は、文学的に、叙事詩/叙情詩/叙景詩に分けられますが、
たとえば詩的文学まで広げて考えても、
叙事詩かな?と思われる「太平記」なども、結局は文学的に訴えるのは、
そこで生きている人々の心の動きであり、
叙景詩かな?と思われる「俳句」でも、結局は、
そこから感じ取る気持ちが主題となっています。

そうじゃないと、なんも伝わらん、というスタンスに立っている、ということです。

つまるところ、それを受け止める今生きる私/私達にこそ、
根本関心があるわけで、実際に詩で語られる事象/光景そのものは、
今の私の心を動かす為の、舞台設定にすぎないということ。

人の世の景色や歴史を、生活の中で形づくる、
「家」「街」が、結局人一代とおなじ、30年内に移り変わる文明背景が
下敷きとなっているのかもしれませんが。

文化思想として、「今生きる者による今生きる者のための文化」ととらえると、
文化摩擦/文化不理解のひとつの原因導出となるように思います。

「死せる者の中で、どう生きるか」という意識がないのですから。

つまり、上で述べた「覚悟」感も、
「死せる者」に向かうと、重大事項に思われるべきことも生まれますが、
「生ける者」あるいは「生ける俺」にのみ向かうと、軽やかに楽しむことこそが重要となります。

切腹も、「祖先に顔向けできない」云々と語られるものの、
結局は「名」を尊び営まれている、当時の現在を維持するためのシステムとして、
「死んでチャラ」ボタンを押すことだったとも言え。

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寺は、生死に向き合うべき場であり、
これを思ったから、また、この寂び寺へ言葉を刻みました。

歳は取るもの、人は死ぬもの。

禅が日本に浸透した背景は、決してその凛とした禁欲界ではなくて、
葬式で「よくくたばった、ご苦労」とあっさりしているから、じゃないかと思うのです。

この死を軽やかに受け止める感じを追い求めた結果が、
禅味では。

今日はここまで。

今日の偈は、

「死んでめそめそされるより、
 死んであっさりしてるほうがよく、
 だから、軽く、しかし覚悟はきっちりと、楽しめる男は素敵」

という、ぐだぐだなはなし。