逸脱と研鑽の公案 -5ページ目
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ロンドン4日目 補遺

足跡



バッキンガム宮殿前のサークルにある噴水にて。
ちょっと変な顔だったので、「こいつはいいや」と思い撮ってしまう。

と、なにか心がうずき、すこし頭を掻きむしったところ、
「あ、俺、これを15年前にも写真撮った」 と思い出す。
まさに、アイデンティティを唐突に突きつけられる瞬間。

センスっていろいろ勉強して学んだつもりでいたが、
根底はかわらないことを痛感。
および、なんてかわいげのない中学生だったことかと思う。
普通、バッキンガム宮殿を撮るでしょ。
当時フィルムも高ければ現像代もそこそこしたわけだし。

多分45になってまたここにきたら、何も考えず撮ってしまうのだろう。
だから、45歳の間に必ずここにこようと思った。

この旅は、昔歩んだ足跡と交錯しながら時が過ぎていることを感じる。

先人曰く、
「馬鹿は死ななきゃ治らない」

ロンドン4日め

ロンドン4日目。
日照時間のあまりの長さになかなか慣れず、
取材以外はなにぶん一人なので、普通の会話をする機会も少なく、
結果、頭にもやがかかったようで気持ち悪い。。

さて、異常に朝早くおきたため、仕事の整理を手早く済ませて、
予定より早く、昼前から自由の身に!!

しかれど、いまいちアツいことが思いつかず、
ホテルのそばのSt.James Parkにて、ビールを片手にひなたぼっこを決め込んだ。

イギリスは芝生がきれいです。仕事がら、お日様とは疎遠なので、ちょっと楽しい。

だらだらとぬるいビールを飲みつつ、
今年はアウトドア推進を一人プロジェクトにしようと決める。
そして、日本はなかなかオーディエンスが厳しいので、白膨れた肉体を絞り上げよう。
それにしても、ああ、なんてビールが美味いのだらふ。

かように、慣れない太陽で脳をとろけさせているうちに、
「ベタベタな観光を楽しめばいいじゃん」とお日様のお告げが下りました。
ありがとう、太陽。 こんどまた伊勢神宮行くから!!

以後の動きは下記。
>バッキンガム宮殿へ。
 世界中からものすごい数の観光客が。たぶん3000人くらいはいただろう。
 観光シーズンなのだろうか?
 それにしても、何もせずともこれだけの人を呼び寄せる宮殿力に感服する。
>ピカデリーサーカスへ行く途中、ロイヤルアートアカデミーの夏期展覧会を訪ねる。
 入り口で渡された展示リストを見ていたらすべてに金額が書いてあった。
 日本でいえば、日展にあたる展覧会だが、全部売り物なのね。
 皆さん、鑑賞と購入検討と値踏みを同時にしています。なんて大人!
 今度くるときは、買い付けてみせると妄想する。
>リージェントストリートをぶらぶらする。
>ソーホーまで歩く。途中、ゲイの人に声をかけられること2度。
 自分がゲイだったら、一人旅はたいそう楽しくなるだろうに、と嘆く。
 ガイアティという言葉を思い出す。
>ロンドン大学キャンパスを冷やかす

そして、ロンドンベタベタ観光の代名詞、大英博物館にたどり着いてしまう。

こんな一日です。
地下鉄が高い(2ポンド=420円~)ので、いっぱい歩きました。

靴擦れに絆創膏を貼りながら、「むやみな観光ってどうだろう」とあらためて自問。
というよりも、もっと行ったことのないところに行かないと駄目だと痛感。
こんどは南の島に行くべしと心に決める。

ロンドン3日目

今日は、大事な日。
オクスフォード大学へ、School Visitです。

ロンドンから1時間ほど電車に揺られ到着。
世界中から集まった参加者に混じって、
夕方5時まで とあるinstituteのキャンパスに缶詰でした。

楽しかった!!

そんなことは置いておいて、
今日は気温が30度ぐらいあり、太陽も燦々で、ものすごく汗が出ること出ること。
しかし北国なので、夜の10時半ごろまで明るい。

ああ、わけがわからない。


そんな環境のなか気づいたこと。

暑いので、皆たいそう薄着なのでありますが、特に女子たち。
80%の確率で、タンクトップorへそ出しです。
だが、肥立ちがよいらしく95%くらいは
立派な二の腕&立派な脇腹をしています。

この事態に際しては、公案として改めてじっくり考えますが、
日本であれば犯罪クラスのたるみ露出は、こちらではただの風景であります。

このセンスに接し、
これまでマチスの彫刻は、なかなか理解できませんでしたが、
少し、分かる気がしてきました。

あれは、研ぎすまされた豊満さにちがいない。

ロンドン2日目

昨日は、ロンドンアイで萎えてしまったので、気合いを入れた2日目、開始!
今日は仕事へのフィードバックも兼ねて、ロンドンのギャラリー巡りだ!!

まずはテートモダンへ。
一頃話題になった、「ミレニアムブリッジ」を渡ってGO。
補修のかいあってか、橋はもうグラグラしませんでした。

ミレニアムプロジェクトで開発された元発電所のテートモダンは、
その成り立ちからして素敵でした。
電気をつくる形で近代に奉仕したところを、
知的創造物のアーカイビングにより、未来を紡ぐ、新しい対話とアイディアを生む場に。
なりは無骨ですが、たいそうエレガントなリノベーションだと思います。

と、仕事柄かワクワクしながら中へ。
先日CSで伝記映画を見た、フリーダの展覧会をやっていました。
チケットを購入し、展示会場へ行く前に、
売店やフリー展示物などをじっくり見て回ること1時間。

満を辞してフリーダ展へ。でも入れず。。。。。。
時間制でチケット発行していたらしく、
他をじっくり見すぎていたため、買ったチケットの時間を過ぎている!!
今日も負け日な予感が。

気を取り直して、ギャラリー巡りは続き、
最後はビクトリア&アルバート美術館へ。

ちょうど15年前、中坊のガキ時分に英語武者修行で訪英したとき、
これまで体験したことのないスタンスにすっかり感動し、
その後も「世界一好きな美術館」として心に染み付いている場所です。

趣味の国 英国らしく、ありとあらゆる歴史的工芸品が細かく収集されています。
国別工芸品から、彫刻/鋳物/テキスタイルといったジャンル毎の展示物があり、
「ドレス」コーナーにて、中坊の私が「およ、ファッションも後世に残るものなのだ」と
気づかされた場所です。
現物ほど、説得力をもつアウトプットはありません。

ギャラリー巡りの果てに、だいたい4対5で負けていて、
「ああ、なんて駄目なんだろう」と凹みかけのところで、
今回も、ある展示物にものすごい勇気をもらいました。
(ここは写真撮影OK!!)


兄貴



兄貴と名付けました。
元ごろの中国の木彫で、偉いお坊さんらしいです。

が、そんなことはどうでもいい。
21世紀の私に、「おい、そこのお前。何?」と凄む、
ものすごいパワーを500年も持ち続ける。

こんな漢になりたいと思いました。

目だ、目を狙え!



ロンドン着。
ホテル周辺をぶらぶらしていたら、ロンドンアイが見えたので、
走っていきました。

予想通りの、変で素敵な観覧車。
チケット売り場の長い列もものともせず、乗りました。

15分くらいの空中散歩。

乗って3分くらいは、テンション上げ上げでいましたが、
ロンドンは意外と小さな街であることがわかり、
そして「高いところから周りを見る」ことしかすることがないので、
萎んでしまいました。

一人旅はテンション上げるのが難しい。。。

今日は、ロンドンに負けました。
明日こそ勝ってやる。

パトスとテロス



名前はマルコヴィッチ。

たいそう落ち着きのない奴のため、
ビシっとした写真がとりづらい。
なので、稀なポートレイトです。

暑苦しいまでの熱情にあふれ、
うざったいほど動きが大げさで、
猫に育てられたので異常な跳躍力を持つ。

結果、
拙宅の守護神として投入したつもりが、
すっかり破壊者に。

ないこともない

今、成田である。
ヴァージンアトランティック航空のラウンジにて。

見渡すと、
遠くにはものすごく眉間にしわをよせているニグロの人、
間には、ちょびひげを生やし丸眼鏡がキュートな巨体男。
目の前では、とても若い白人の男性がNintendo DSに熱中している。

あ、今、やけにせわしない英語で、搭乗口に行け、といわれた。

みな、ため息をつきながら、ちょっと気合いを入れている。

このゆるい、めんどくさがりな、でも律儀で多彩な集団は、
とても英国的だとおもった。

多様ではなく、多彩である。


飛行機に乗る前だから、すこし怖い気持ちがする。
でも、このラウンジは、もうほぼ英国なのだ。
だから、何げないふりをして、タラップへ急ごう。

素朴さ×不明さ=もどかしさ


横断幕界の常套句、「祝」。


全国大会出場の接頭辞としては正しい。
「○○部」の前につくのも至極普通である。


が、写真部であることろが、
圧倒的な「わけのわからなさ」として際立つ。


だれか、知ってる人教えてください。


変で素敵度= ★★ (日常のふりをする変)


※世田谷区 のぶくん からの投稿でした。

しめやかさ×粗暴さ=明るさ

さみしさのひとかけらもない


永平寺への途上にて、車から撮影。
慌てたため構図は悪いが、それもモノともしない力強さがある。
さすが禅の本山のお膝元。
ズバッとした自己表現である。

変で素敵度 ★★★★ (研ぎすました変)

髪を切り、ロンドンに備える。

のびるに任せていた髪を切った。

髪は身体の一部にしては、ひどく乱暴な扱いが可能である。
髪は、切られることに対してはもちろん、
熱風を浴びせられようが、薬品に浸されようが、カミソリで削がれようが、
まったく頓着しない。

かようにぞんざいな扱いをしたり/されたりすることに、
この毛を生やす私自身、何の呵責も感じないのだが、
しかし、髪に対しては立派に「私の毛」という意識が定着している。

【公案1】*******************************************************
とても皮膚とかにはできない乱暴な扱いをしても平気な、髪の毛。
しかし、それでいて、皮膚と同じように「私のからだの一部」と思っているのはなぜか。
*************************************************************

色や髪型は、わたしの印象を大きく規定するために、
これを根拠とする説もあるかもしれない。
しかし、それであれば、髪の毛に対する意識は、衣服へのそれと同等であるはずだ。

髪の毛は、しばしば、夫の時計の鎖を買うために売られたりすることもあるので、
確かに、衣服のように「所有物」として考えられなくもない。
ともに繊維系だ。

しかし、圧倒的に違うのは、
衣服は簡単に着脱可能だが、髪の毛はそうでなく、
また、下手すると髪の毛は、ぷちん、と抜けたりしてちょっと痛いのである。

色を入れたり、ケミカルで形をかえたり、ボリュームをいじったりと、
ほぼ衣服の加工とおなじようなことができる髪の毛は、
「私の痛み」の点で決定的に、単なる所有物とことなる。

左様、この痛みこそが、髪の毛を「私の毛」たらしめる意識根拠と考えられる。
色を入れたり云々、というぞんざいな扱いは、
「痛みを感じずに髪の毛を加工する技術」の進歩に頼っているだけであり、
これがないと、皆、痛くて髪型をかえるどころではない。

手で髪をむしる、しかなければ、これほどヘアサロンは多くないはず。

だれしも、髪を引っ張られたり、挟んだりした時の痛みを知っており、
それゆえ、私の一部として、守ろうとしたりするのである。
これを背景にして、「俺の毛」という意識が生じ、
愛おしんだり、トリートメントかけたりするのである。

痛みは、嫌なこと、と思われがちだが、自分の輪郭を確かめる良い機会である。


そういえば、PostPetで有名な八谷氏らが、
他人と自分の視覚を擬似的に交換するマシンをつくっていたが、

それよりも、たとえば、蹴る/たたく/さわるなどの外物に対するアクションが、
痛覚として自分にフィードバックされるマシンなどあるといいかもしれない。

周辺への愛おしみを感じ、少し平和になるかも。
痛覚は自己意識をつくり、暴力の退行を促進しうる。

合掌。

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ということで、水曜日からはロンドンです。
10年ぶりの渡英。
ロンドンアイや、市庁舎をはじめとするリノベーションの成果物を体感するとともに、
多文化の首都で、どれだけ変で素敵なものに出会えるのでしょうか?
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