判断停止 本質直観 | 逸脱と研鑽の公案

判断停止 本質直観

自己中心主観からの脱却を考えつつ、特に何を書こうとも決めずに、

このURLを打ち込んでいて、驚いた。


epoche


エポヘーである。


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現象学用語であるが、「判断停止」という思考態度のことで、

先入見のような、ものを見て考えるうえで素直さ率直さを損なわせる、

すべての滓や垢や偏向から自分自身の思考を解放する、

というようなものです。


何か目の前に出されて、

「あー、知ってるよー」とか

「こんなの見たことあるなぁ」とか

「なんか○○っぽいよね」とか

「うーん、あんまりわかんないなぁ」とか、


そういう、その出されたもの自体を見ない、

ほかとの関係とか自分の気分とかを、

ものを見るにあたってのノイズとして捨象するのです。


まるで立体視のように、強い意志が必要ですが、

大学時代は、フッサールの著作に導かれて、

このような絶対ゼロ地点からものを見る態度をがんばって身につけようとしていたのでした。


考えようによっては、もっと純粋に自己中心的な態度になる、とも考えられますが、

しかし、世界と素直に向き合うということですから、

もはや、自己中でもなんでもないようにも思います。


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さて、私は目下、エポヘー中です。


その次にくるのは、本質直観。


「ドーーーーーん」な、喪黒な感じのことではなく、

じっくりつぶさに純粋に、ものや事態を記述していくこと、

それを通して世界を再構成すること、その作業すべてのことです。


どんな読み解きをしていくのだろう。


絶対的ゼロ地点に戻るから、何も約束されないのが怖いですが、

それもそれ、あらたな旅路に純な気持ちに、


エポヘー


して向かいましょう。


ううう、それにしても、響きが間抜けだ。


最後にも一度、


エポヘー。