逸脱と研鑽の公案 -4ページ目

保護かアジテーションか。

規定公案外ですが、書きたいことがあるので。


Yahoo! NewsのHeadlineに、
日本国政府が武力攻撃などの有事に際しどう対応し、
国民は避難などどうすればいいか、というガイドラインがHP化されたとあった。


http://www.kokuminhogo.com


なんで、大臣は笑い、老人と子供(たぶん国民イメージビジュアル)も笑っているのだろう。

このHPをみんなが見なければいけない時、このデザインを見ると、

腹をたてるか、緊迫感がゆるむかどっちかであろう。

それも、狙いだとしたらなかなか上手であるが。


>>


そういえば、前にNHKかなにかで、

この問題はいろいろ根深いという報道に接した。


武力攻撃についてだけでも、たとえば、

新潟とかが攻撃されたら、人々は遠くへ逃げようとするが、

自衛隊とかは新潟に向かわねばならない。


それぞれがマニュアルを考えていたものの、

高速道路だけとってみても、

避難する側は、よりたくさんすばやく避難するために上りも下りも両側使う前提で考え、

自衛隊も自衛隊で、戦車通しながら、兵員・兵站を確保するために両側使うつもりでいて、

その両者を調停する会議体は、たいそう紛糾したそうである。


ただこういった議論は、現状維持思考に陥ってしまいがちな、平和な今日において、

戦略的にものごとを考えるトレーニングになるので、大いにやればいいことでしょう。


>>


さて、話が横道にそれたが、冒頭で触れたHPの話。


ためしに見てみました。

すると、「国民保護に係わる警報のサイレン決定しました」という、気になる情報が。


クリックすると、ご丁寧に、WMPで試聴できます。(サンプリングするなという注意書きも素敵)

http://www.kokuminhogo.com/arekore/shudan.html#siren


聴いてみて、笑ってしまった。

だって、あまりにSFチックな、「異星人来襲」風の音なのだもの。

ウルトラ警備隊が出てきそうである。


「国民の保護に係わる出来事」が起きたら、この音がつんざめくはずで、

その場に居合わせてしまったら、笑いが出て真剣に走れない気がします。


みんなニヤけながら、テケテケ走る。


出来事を起こしている方も、やる気がおきないのではないか。

そこが狙いだとしたら、これまた、なかなか上手である。


どうも、わが国の国民保護は、全般にゆるめのヒネリが効きすぎていて、

いざというとき、ゆるんでしまいそうである。



公案1-1 死に至らない病

先日、朋友の一人が入院した。



実は私も、昨年風邪かな、と思っていたら妙ちきりんなウイルスに罹患していて、

そいつは腎臓に悪さをするらしく、病院に行ったら、そのまま1週間ほど入院させられた。




朋友も似たようなことで入院と相成った由。



「病気」ではあり、必要と判断された結果の入院に違いないが、

娑婆で生活しているときの「入院せにゃならん状態イメージ」と、

実際にそのシチュエーションが訪れたときの自分の状態は、結構異なるものである。



入院せにゃならん状態イメージとは、

「死に近づいている」という感覚をどこかに抱かせるが、

少なくとも、私や朋友の入院状態は、もっと死への道筋の手前のほうである。



「死に至らない病」とでも言えます。



>>

これは、現代に息づく、一種の呪いのようなものでもあり、

本人にとっては、具合が悪いこと以外は、

「医者にそう言われたから」という、他人気質な病気である。



このような病で入院すること、そのすべては、

「こいつほっとくともっと悪いことになりそうだから、

自律状態から拉致して、他律が支配する病室に突っ込んどこう」

という、医者の判断によってなされる。



よって、入院そのものは、「他律」の引導を渡される経験。

そして、医者は、「もっと悪いことになりそう」と思うのみで、

その”悪いこと”は、必ずしも死を意味せず、

めんどくさいことになる、だったりする。だから、保険的な入院とも言える。



>>



また、死に至らない病は厄介である。



なにせ本人が、なかなか病人ロマンに浸れない。

健康は大事であるし、重病の方々には大変失礼なことだが、

我々、どこかしらに「病弱な深窓の人」へのあこがれがあるものである。



入院するとなれば、この役割を演じることができるお墨付きをもらうようにも思うのだが、

肝心の病気にあまり深刻さがないのである。ダイレクトに死に至らないから。

せっかく入院したのに、食い足らない。



>>



さらに、内科系のこういった病は治療が「安静」「点滴」だったりと、とても地味である。


外科であれば、ギブスとかそういう演出装置があるのに。



そして、内科病棟の他の方々は、けっこう重篤だったり、病が深刻だったりして、

相対的に自分の病が軽微な感じがする。



いわば、刑法と軽犯罪法の差のようなもので、

死に至らない病での入院は、感覚的には、立ち小便で刑務所に行くようなものである。



>>



死に至らない病は、呪いのようなものであり、めんどくさく、

それによる入院は、更生施設に保険的に立ち小便で入れられるような、

バツの悪い、食い足らない、なかなかシュールなことである。



だが、入院であることには違いなく、周囲の人々には、

「死に至る病」と同じように、心配や動揺や気遣いをさせるのである。



まったくたちが悪い。



しかもよくよく考えれば、生きることは死ぬことなので、

マクロで見ると、「死に至らない病」は病ですらないのではと思えたりもする。



まあ、呪いってなんかヤなものですし、

医者は時として自由を拘束できる権力者なので、

ぜひ健康には気をつけてください。



この公案は、

「よく生きることこそが、病を無力化する」

とでも結んでおきたい。

武家の栄華 × 鉄板焼き × ファンシー = きはずかしさ

だいぶ写真がたまってきたので、徐々に吐き出します。

さて、過去のアルバムを整理していたら、見つけて、また笑ってしまいました。

我が故郷、広島の世界遺産、厳島にて。

平清盛と縁深い土地ゆえに、彼と平家はことあるごとにリスペクトされたり、使い倒されていたりします。
フェリー乗り場の脇には、なぞの清盛像があったり。

さて、ふらふらとはずれのエリアの石垣に、結構おおきめなこの看板はありました。

プチって?

おちゃめにちいさくてかわいい、武家が、鉄板焼きです。

ご丁寧にアルファベット表示つき。


でも、プチってねぇ。

公開公案

誰も読者などおらんだろう、と思っていたら、
友人には「いったい、いつ更新するのだ?」、同僚には「これ公案にしろ」、
などなど、わずかながらも各所から突っ込まれる。

うぅむ、詮無い。

ので、この道場はふたたびゆるやかに開かれようとしています。

さて、Blogのいいところは、
日々のひらめきや衝動や感想など、そんなうつろうものを、
日々気軽にさらさらさらりとつづればよい、というところであります。

困った。

うつろうものは心にありますが、つぶさにこぼれてしまい、
捉え直すのは難しい、悩ましい性分。

そしてさらりとつづろうにも、どうも、言葉を前にしては、
「ものす」という気分でしか接することができない。

日々ーうつろうものをーさらりとつづる、Blogですが、

このページくらいは、
日々ー定めたものをーゴリッと書き記す、ことにします。

具体的には、先んじて、「7つの公案お題メニュー」を決め、
そのなかから適宜ピックアップして、すべて消化するまで公案と組み合おうという趣向。
一通り終えたら、また次の7つを投企する。

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第一連:
・シンメトリーと快 アシンメトリーと楽
・おしろいの本質
・死に至らない病
・ビタミンC=レモン?
・拒絶の中に希望はあるか
・妄想学習
・心配とテキトウさ

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とりあえず思いついたものを並べた。

たぶん3連目くらいで、題に息切れするであろう。

だが、無理矢理そこから突き進むと、
きっと気持ちいいことになるに違いない。

脱すること、止まること、白くなること。

epocheである。

よみをカタカナで開くと、本によっては「エポヘー」だったりする。
口に出して読んでみてください。ぐらっときます。

よくあそび、よく眠る

島原では2泊3日の短いステイの中、
滞在した朋友宅の心尽しのおもてなしにすっかり甘え、
たいへんよくあそび、よく眠りました。

よくあそびよくねむる



この、自然の懐に抱かれた環境で、だれよりも楽しんでいたのは、
マルコヴィッチ。

自然と戯れすぎて、夜中に河に転落したりと災難もありましたが、
しかし、朋友宅のホスピタリティと、おおらかさの中で、
本当によくあそび、よく眠っていました。

ぐっすりです。

濁った魔法

島原、その心臓に位置する雲仙。
そこには、地球から湧き出る魔法がありました。
濁りがまた、霊験あらたかさのしるし。

お湯の魔法



お尻はどうぞ、気になさらず。

都会に仮住まう田舎者としては、山が見えるとホッとします。
そして山の髄から染み出る、魔法のお湯にに浸ると、
都会で過ごしてきたこれまでの自分 と 今ここにいる自分が、
じっくりとピントを合わせたように、はっきりと結びつけられた気がします。

ロンドンで地球を歩き、島原で地球に浸る。
ああ、贅沢な一週間。

島原にきて、温泉に浸り、私はとても元気になりました。

その後、東京に戻り、10日間地球と戯れたおつりとして、
たまった仕事で48時間以上起き続けられるほどに。

島原雲仙そうめん洋明

すっかり公案問答ブログから、
ちょっとだけ禅味のある旅ブログになってしまっているのですが、
凝りもせず、また旅日記。

6月22日ロンドン→東京、
その勢いと時差ぼけもさめやらぬまま、6月25日東京→島原へ。
また飛行機のれてうれしい。

朋友の里へ、犬とともに。

長崎空港に到着。犬が特別貨物として出てくるのを待っていたら、
待ち合いロビーに朋友夫婦が仁王立ちしているのを発見。

ちょっと照れくさいですな。
なので、荷物待ち受け場と待ち合いロビーのガラス壁にある看板の陰から
チラ見してやりました。
そのときの写真。

長崎着


(※朋友は手前のおじさんじゃないです)

ありがとう浦上天主堂。

さあ、愚者とその犬は、何を見るのか!!!!!

ロンドンからの帰国

ロンドン4+1日め。とうとう帰国日となりました。
時差ぼけ対策のため、夜半から朝空港に行くまでボケーっと過ごし、
毎旅恒例の「旅の振り返り」をいたしました。

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前のコラムで少し触れましたが、当地への滞留はこれで3回目。

1回目は中坊時代の英語武者修行、2回目は大学時代の欧州お遍路行。
過去2回は、私、ロンドンに対してあまりいい印象を持ちませんでした。

飯がまずい、物価が高い、外人(特に東洋人)に対して冷たい、
という3つの印象からかと思います。
異国である以上、なんらかの違和感があって然るべきで、
これに対し、良いとか悪いとか言っていても、それはただのワガママ。

それだけじゃくやしいから、旅こそ学習の母なので、もすこし考えてみる。
これら「感じた違和感」を、受け止めたり、超えたりすることに、
自分を豊かにする成長を見いだせそうか、ということに注目してみる。

過去2回はここまできちんと考えられていなかっただけで、
実は結構いい勉強だったんだぁ、と思いました。

味/金額/冷たさ、これら3つの違和感は、煎じ詰めると、
「都会の大人」としての自分のレベルを思い知らされるということであり、
これとの対決は実は、「大人道」修行であったのです。
そんな大人になりたいかどうかは別として。

これまではとてもガキだったので、当たり前ですが私はロンドンから却下され、
こちとら願い下げと、ロンドンを却下しておりました。
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さあ、今回はどうだったか。

この街は、21世紀になってすっかり変化していました。
街をただふらつくだけで、地球上の代表的な言語は大抵聴くことができるほどに、
恐ろしく住民の国際化が進んでいました。
身のこなしからみても、露、中、越、伯、泰、南印・・の人々、観光客ではありません。

この生活者の多様化により、過去のロンドンを強く印象づけた、
「飯がまずく、物価が高く、外人に冷たい」街から、
「いろんな食文化のMIXに出会え、物価はバカ高く(涙)、地球を歩いてる感じがする」街に。

欧州圏でのグローバライゼーションの権化になったがゆえに、
そうです、この狭い街は、文字通り「地球化」しているのです。すげー。
恐るべし、大英博物館の地霊。

過去のロンドン体験は完全アウェーゲームでしたが、
今回はホームもホーム、地球に来てしまったので、強いて違和感と言えば、
「通貨」「ビール頼むとき、パイント制だ」「日照時間」「コンセントの形」
というレベルです。
なんてライブな違和感でしょう。

百聞は一見に如かず。
グローバライゼーション、ってシャカリキに学んだり、ビビったりする前に、
この街に来ればて、歩くだけですぐに体でわかります。

埋没しようが唯ひたすら歩く、それに価値のある街であり、
グローバライゼーションへの態度も、それでいいと思うことができました。

止観唯歩。これも21世紀の一つの大人道かも。なんせ道ですから。

そこはもうイタリア



って、朝早くホテルのテラスでビールを飲み飲み考えていたら、
どこからともなくワラワラとイタリア人のおじさんおばさんが現れ、
立っておしゃべりに興じだした。

今、ここはもうイタリアなのでしょう。さあ、次はどこだろう。

パリーロンドン

パリ2日目。今日は、朝から学校訪問の予定。

コンシェルジュに、学校までの行き方を昨晩たずねていた。
タクシーなら30分。電車なら1時間らしい。
料金が10倍違うので、電車だ!と告げたところ、
「乗りたけりゃ乗るがいい」とでもいわんばかりのリアクション・・・。

そうして朝を迎え、ホテル至近の電車駅へ。

駅ではフランスらしく、すべての切符販売機が故障しており、対面窓口にて切符購入。
「おまえ本当にそこまで電車でいくのか?」と確かめられる。
また、3回の乗り換えが必要といわれる。

なんなんだろう。前途多難な予感。

でも負けじと電車に乗り、最初の乗り換えを無事すませたとき気づく。
「乗り換えに異常に時間がかかる!!」

そうなんです。行き先が結構な僻地のため、あまり乗り換えの電車がないのです。
おまけに、遅刻上等システムのため連絡の悪さは二乗される。
結果何が起きるかというと、大幅な遅刻であります。

日本では、遅刻魔として常々皆様になじられておるのですが、
自ら望まないそれほど、呪わしいものはありません。

結局、なんと3時間かかりました。
確かに電車に乗っている時間は1時間ほどであったのですが。
すっかり予定の時間を過ぎ、途中まで「イギリス時間(1時間おそい)で考えていたよ」という
ジョークをかます予定でいたのも無駄。

このような生活体験の実践と蓄積の中で、
フランス人、広くはラテンなノリは再生産されるのだ、と痛感。
C'est la vie. の言葉の重みを感じました。

そうして目的駅に着く。
たいしてパリから遠くない(15kmくらい?)のですが、かなりの自然がひろがります。
風景は例えると、箱根の仙石原あたり。

異常気象の暑さの中、ダラダラと汗を流しながら、30分ほど歩いて学校につく。
アポイント先の女史を訪ね、もはやこれまで、と事情をすべてはなしたところ、
よくあることらしい。

美しい微笑みとともに、
「もしこの学校に来ることになったら、車を買うことをお勧めします」とのこと。
ああ、エレガント。

でもお願いだから、案内に電車での行き方しか書かないのは止めてください。

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一通りのことを終え、パリ北駅へ。
この道のりでも、いろいろラテンノリの被害にあったのですが、割愛。
で、ユーロスターに乗り、ロンドンへ。

私のフランス語がいかに錆び付いているかを痛感し、
そしてラテンの厳しさを痛感させられることが山ほどあったゆえ、
絶対英語圏への生還はとても安心できました。
道行きでは、すやすや寝てしまった。

短い間の二都物語はこうして終了。
明日は、朝ヒースローに向かい、帰国です。
あー、疲れた。

「あづい。あ、仲間」


写真は、パリ北駅の中。
華の街パリは、犬の街でもあります。たいがいの人は、犬を飼っているらしい。
通りへの脱糞の清掃が深刻な財政難の一因になるくらい。
そんなことだから、駅構内にもいっぱい犬がいました。

みな暑さにハァハァ言っています。
でも犬飼い先進地らしく、どの犬もよく躾けられておりこうさん。

さらっと、「あづいよね。」「ね。」と語り合っていた感じ。

ロンドン→パリ

ロンドン5日目。
取材対象者とともに、パリへユーロスターで移動。

ウォータールー駅で待ち合わせまでに時間が結構あったので、
少しブラブラしましたが、日々の革靴での闊歩のせいか、足が相当痛むので
結局駅に舞い戻りカフェで「ぼーっ」とすることに。

さて、1.5時間ぐらいボケっと過ごしたら約束の時間になり、ユーロスターに乗る。

電車の中では、食事と飲み物のサービスにありつきました。

イギリスは自然の食べ物に昨今目覚めているらしく、野菜が美味い。
フランスは食への研鑽がたいそう盛んなため、工夫のこらし方が巧い。

2者が交わるこの列車の食べ物がどうしておいしくない訳がありましょうか。
シャンパンやワインを傾けること2時間あまり。
この旅初めての満腹感と酩酊に気を良くして、パリ北駅まで爆睡しました。

取材対象者はというと、シャンパンで酩酊したらしく、食事前に早速寝ておった。

そんなことで海を渡り、言葉が変わりました。

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パリに着き、駅で待ち構えているはずの迎えがおらず、
ガーガー文句をいいながらも、彼奴と二人で「大陸にきたねー」「ラテンだねー」としみじみ。
ゆうに30分ほど待たされ、最後の取材地へ。

それにしても、自由と平等と友愛の発祥地、30分も待たせても運転手はビクともせず。
立派である。なによりもまず、自分がある。
一隅ヲ照ラスモノ、是レ国ノ宝ナリ。

取材は、先方のブランチにて簡単な撮影を行い終了。取材対象者とはここでお別れ。

その後、エトワール地区のホテルから、シャンゼリゼまで歩くことにした。
そこでまた漢に出くわしたのです。

酔いどれ天使



多分、ルンペンのおっさんとお見受けしたのですが、
毛皮のロングコートを肩からかけています。
そして、赤ワインのボトルをぐびぐびやって居る。
シャンゼリゼのへそ、「Le Fouquet」の前のベンチで。

ロンドンの同業の方々とは雲泥の差。
華の都パリの中心で、粋をふりまいておられました。
「酔いどれ天使」と命名。

パリの度量の広さを感じ、
どうりでモードが発達し、どうりで道行く女性たちが奇麗なんだと、
深く納得させられました。

一隅ヲ照ラスモノ、是レ国ノ宝ナリ。

何事かで生業を立てる以上、肝に据えるべき言葉と改めて感得。

明日は、とある学校訪問。そしてそのまま夜にロンドンにとんぼ返りでございます。