こころの柱 | 逸脱と研鑽の公案

こころの柱

侘び寺に、久々に立ち戻る。



住まいを、海辺の旧避暑地の崖の上から、お城の堀の内、富士山を眺める土地へ。



次の移動も見えているから、仮住まい。



思い返せば、なにしろ移動好きである。

平成18年は、その習性に輪をかけて、移動の年だった。



中国へ数度。

台湾へも行った。

アメリカにも長期滞在した。

ヨーロッパへも出向いた。走った。

広島との往還も40回。

ひとり、引越し。







いい年だったかどうか、と問われれば、

そうだったと答えたい。



悲しいこともたくさんあった。

それでもなお、生きているし、年を越えてとても未来への希望を感じている。

自分の好きな自分に戻ってきたし、

自分らしい歩き方を久々にしていると思う。

そして、足取りも確か。



この今を生み出しているのは、2006年があったからで、

なによりも確かですばらしい支えを得た。



波乱も肥やしに。沈鬱も次への序曲なのだ。







年を越えて、家族の正月へ招かれた。







ところで、私、人の本棚を眺めるが好きである。

その人のこころの襞も含めて、感じることができると思うから。



並んでいる本たち。それらの背表紙に残る手の跡。

並び方。置かれ方。カテゴライゼーション。

いつごろ、どれくらい手に取られたのか。

そして、その本棚は総体としてその人にとってどういうものなのか。



招かれた家の居間には、ひとつ本棚があった。



真ん中に仕切りのある、背の高い本棚。



向かって右側は、歴代の芥川賞受賞作品が、昨年分まで並んでいる。

かれこれ40年分ぐらいだろうか。



左側には、同じように、直木賞作品が並んでいた。







この家の主は、87歳の男性。



彼の居室や、その他の部屋にもきっと本棚や書籍の空間はあって、

そこには別の、彼の趣味や雑学、仕事や遠い過去にかかわる本が並んでいることだろう。



家の中心地となる居室の本棚からは、

彼の意思、あるいは、柱、命脈のようなものをとても感じた。



最近の受賞作もあるから、

「ゲルマニウムの夜」も、「そのとき母は」や、「蹴りたい背中」などもある。

そして彼は87歳だ。

本たちは、少なくとも一度は読まれた形跡があり、

背表紙には揃いだから手製なのか、「芥川賞受賞作」という帯も付いている。



彼が生きてきた時代の結晶、あるいは定点観測としての、

両賞作品群がそこには並んでいる。



たとえその作品個々の文章が、彼の好みに合わなくても、許容しずらくても、

生きてきた時代の結晶として辿り続け、

彼の生活圏が外と触れるひとつの核である居室に並べている。



そんな真摯で、持続的でゆるがない息遣いに、とても尊敬を感じた。







実際は違うのかもしれない。



ただただ、「かわないとねぇ」の惰性がここまできて、

買った以上置き場所を用意しなければならんから、一番マージナルな居間へ置き晒しているのかも知らん。



それでも、続いていることは確かで、

少なくとも本屋で両賞作を見かけたら、買うようにしていることは事実。



続けること。



これこそが、こころの柱の本懐なのではないだろうか。



それがこころの柱そのものなのか、あるいは、こころの柱の表徴なのか、

それはわからないけれど、

ひととき触れた私に、なにか確かなものを伝える力があるものだ。







彼はもともと名古屋のほうで、

住み、働き、家族を養い育て、長く過ごしてきたそうだ。



そして、リタイヤ後、子供家族の暮らす関東へと移動された。



よって、その移動の際には、ひととおり身の回りを整理して、

エッセンシャルなものを携えて動いているのだろう。



越してこられて長いようで、生活の蓄積も感じるのだが、

その中で、この両賞の本棚は、凛として確かな佇まいをしていた。



変化の中でも続き、変わらないもの。

それを大切にする姿勢。



これについて、私はなにも現場では語らなかったけれど、

でも、とても身の締まる思いをした。







移動を続けると、だんだん自分に大切なもの、エッセンシャルなものが見えてくる。



それは存外、こじんまりとしたサイズで、

スーツケースにして2つであまる程度だ。



※趣味も職業もあって、本がとても多いし、

 本こそ私の資産なので、それは別。



かれこれ20年ほどの移動の暮らしの中で、

このエッセンシャルなものたちはどんどん変化してきたと思う。



だが、最近は同時に、レギュラー陣も増えてきた。



これからは、きっと、どんどん量は減ってきて、

レギュラー陣ばかりになるだろう。



そして、これからは、私は、

大切にしたいものを長く長く続けていくことを、しようと思うのだ。



我慢や待つこと、それを重ねるのは、

不慣れだけれど、それをしたことがこれまでないのは、

これからそれをするためなんだろう。



そんな教えを、彼の本棚から感じた。







いろんな物事や場所を猟歩して、散らかして、得て、

原始的な育ち方をしてきた。



仕事も、まだまだ半成りだし、

人として完成までは程遠い。

貯金もないし。借金もある。



我慢をまだまだ知らず、意固地な部分や不必要なこだわりもある。



だが、徐々に、確かに続く生き方を志向しはじめてきた。

そして、これまで言葉先行で思ったり動いたりしてきたことが、

だんだんほんとうの意味を見せてきた。



だからこそ、こころの柱を太く確かにしていきたいと思うようになった。







移動を続けてきたのは、きっと、帰る家が確かにあったからだろう。



あたたかく私を育んだ家。

敬愛する祖父がつくり、住んだ家。

いろんな人と出会い、過ごした家。



私はきっと、この家から卒業をして、

次へつなぎ渡す、家をつくろうと思っているのだろう。



次の世代に確かな柱としてつながる家を。



そんな気持ちへ、変化していることを知った今年。



移動人生は続くけれど、それでも、

これまでの発散系の移動から、

収束してひとつの筋や命脈としての移動へ。



今年も、よい旅を続けていこう。

温もりと愛情につつまれながら。