今晩は満ち足りた | 逸脱と研鑽の公案

今晩は満ち足りた

徐々に日記、あるいは、「こころにうつりゆくよしなしものをそこはかとなくつづる」ものとなった、
この寺の記録である。

いまはちょうど、修業の休みであるので、日常と戯れている。

さて、今日、夜半頃に同居者より電話があり、「今日は風呂が入っているので早く帰りたまえ」とのこと。

すべての波乱を終え、もはやなんら逆らうものをもたない、うつろう私なので、終電ごろ帰宅した。

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わざわざ電話したのは、風呂は佳いから入れ、というのと、
温めた風呂が冷める前に入らねば燃費が悪い、という刹那功利の入れ子感情なので、
帰宅した私は、生活費を共有する中での、その温情と冷酷に、もちろん逆らえず、すぐさま風呂へ。

脱衣所には、誰かこれまた、どこかからせしめた「防水ラヂオ」が置いてあったので、
ああこれは長湯がよろしかろう、と、モノの素性に改めて想いを馳せつつ、読むべき本を探した。

ちょうど、しばらく放っておいた鞄の中に、読みかけであった「日本の経済格差」という新書本が。

ということで、音楽だらけの局に針を合わせ、温かい風呂へと。

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事実をできるだけ客観&批判的に淡々と解析/読み解く文脈は、新書の醍醐味である。
そして、読むことが学びと直接つながる。

昨今、政局化、つまりは、駄弁化している「格差」のお話であるが、
冷たく見ると、別に日本で最近格差がひろがり始めたのではないということを知る。

こういうことらしい。

戦前大きかった格差が、戦後の日本の経済力の極端な低下に際して、
戦後処理や復興過程で、格差=貧困層の発生となるから押さえられ、
そして、そもそも日本円の価値が国際的に低かったから、
ちょっとやそっとの額の差では、個人の経済活動上の差も生まれず、
あくまで「結果として」そして「非常事態処理」として、経済力の平均化が起きた。

しかし、実体経済の回復、そしてそれに伴う、
所得が資産化しやすい、所得の比較的大きい層の保有資産価値向上、
さらには、資産運用益の拡大や、
生活補助サービス業の拡大に伴う、高所得層の共働き化などが、
成長期以降継続的にあり、
どんどん経済力格差は拡大していた。

もともと、社会制度がこの変化に追いついていなかったため、
変化を実態に合わせて行おうとしていろいろ最近やりはじめたら、
「あ、格差ってあったのね」という、一億総中流幻想からの脱却が起きたのである。

つまり、格差批判はつまるところ、経済力の高い日本経済批判であり、
乱暴に言うと、格差なんてヤ、とすると、それはじゃあ日本円の価値下げましょう、という話である。

むしろ問題なのは、大企業と中小企業の勤労者の所得格差のあまりの大きさ、
そして、さらに、男女間の所得格差の大きさだと思われる。

ということを、1時間半の温浴で、少しわかった気がしたのである。

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風呂上がりには、ビールである。

誰かがそう云っていたし、実際風呂の有無は置いておいて、ビールは一日の終わりにも佳い。

なので、リビングでテレビをつけて、ビールを。

テレビでは、NHKの世界遺産探訪シリーズの「ドブロブニク」編をやっていた。

思わず見入ってしまった。

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ユーゴ時代にこの街を訪れた父親が、美しさに打たれてか、
帰宅後、「ドブロブニク、ドブロブニク」と謎の言葉をうわごとのように云い、
そして、謎の自作ソングを歌い、
見たくもないのに、撮影した写真のスライドショーを自宅をわざわざ暗転してやり、参加させられた。
さらに、遅れて届いた、父発父宛のドブロブニク絵はがきを眺め、嘆息していたのを思い出した。

そして、なにかと又行きたいと云っていたのも思い出された。

そして、チトーが死に、内戦がはじまり、「ドブロブニク大丈夫かな」と心配し、
セルビア軍による集中砲撃がはじまったニュースを、真顔でじっと見つめつづけていたのを思い出した。

確かに、地中海に面した岸壁のうねりの中に飛び出た、ゆるやかな岬と砂浜と砦からなる、
碧い海に紅屋根の映えるこの街は、美しいかもと思っていた。

そして世界遺産の街は、父の深い祈りのさなかに、瓦礫と帰した。

このテレビ番組は、その後、「危機遺産」認定された街の、
戦後の歩みを中心に編まれていた。

生き残った人々の手と伝承の技により復元されつづけ、
「危機遺産」認定が解除される。
しかし元通りにする意欲と平行して、瓦礫になる過程、なった後の写真を誠実に遺そうとする人も居る。

さらに、まだまだ街を見下ろす丘、元々風光明媚な観光スポットであった場所、しかし、
セルビア軍が見下ろす街へと砲弾の雨を降らせた、その丘は、
侵略から守ろうとした人々の命の痕跡を残す瓦礫の廃墟として残り、
復元を静かに待っている。

そんな、
時間、人の想い、人の技が幾重にも積み重なる、ドブロブニクという街を伝えていた。

また、別のことも。

この街自体、民族的にはクロアチア人が多かったが、しかしセルビア人も居て、
でも、中世以来、自治と自由を尊んだこの街のすべての人々は自ら「ドブロブニク人」と呼び、
その気持ちは、たとえ街を灰塵に帰す民族主義者の砲撃の中でも生きていた。

生き残ったセルビア/ドブロブニク人は「街を愛すれば、その人はドブロブニク人」という、
途方もなく、深く、愛しく、辛い、言葉をこころをこめて伝えようと、カメラの前で輝いていた。

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なるほど自治/自由という、文化や思想を最も豊かに生んで育む、この街に流れる魂は、
決して、ただ白黒つけたい、ただ否定と肯定しかしない、民族主義を遥かに超えていると、
ほんとうに思った。

だからこそ、私の父親は感応し、愛おしみ、そして、祈り涙をながしたのだろう。

でもまた、思ったのは、この確かさや豊かさ は、戦火にさらされて改めて明確になったものである。

私たちは、暴力・失敗・喪失を疎み/拒み、太平楽を佳しとするがしかし、
その良さは、頭だけでは決してほんとうの理解はできず、その体験をし、祈りを深めて初めて、
価値がわかり、生活の奥行きを深めることができるのだろう。

この経験は、悲しい、しかし、強いものだ。

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私はこの夜、身内の格差や差分を考え、社会の外的/内的差異との葛藤と克服、
そして、自治自由自律から生まれる豊穣さと、それを確かに感じる為の喪失や失敗の意味を感じた。

なんと豊かな夜なのだろう。

メディアは、享楽をあたえるものではなく、頭とこころをかように滋養できるものである。

なんだか運が良い。
風呂が沸かされたから生まれた、冷酷な温情に感謝を憶える。
ノーサイドのゆるやかな緊張感も、時に乙な夜を結ぶ。

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そして、今は、こんなことを書いている間、家の猫とずっと遊んでいる。
彼女もまた、愉しい時間を過ごしている。

今日は昨日よりも暖かかった。
明日はどうだろうか。

私は、冬が好きだ。
寒ければ、動いたり、考えたり、着込んだりして、暖まればよいのだから。

自分を冷ますよりも、温めるほうが、なんだか、ほっとするのである。