「どんちゃん騒ぎ」 | 逸脱と研鑽の公案

「どんちゃん騒ぎ」

最近生活が不規則である。

布団の中でまどろむことが何より好きなので、睡眠の深さが、
私の生活を律する重要なキーであるのだが、
ここのところの不規則な出張や、不規則なお酒や、季節の変わり目のせいか、
浅い眠りで早起きしがちである。

しかたがないと今日は諦めて、カーテンを開け放ち、
掃除をしたりし、今はテレビ見つつ、宮沢章夫のエセーを読んでいる。

で、でくわしたのが、この言葉。「どんちゃん騒ぎ」。

ひさびさに読んだし、ひさびさにこの言葉が引き起こすイメージ世界が
頭に浮かんだのである。

これまで、したことがないが、しかし、テレビ等でその喧噪と嬌声と空気は
なぜかはっきりとしている。
やや、すえた匂い、ヤニと薄い加齢臭が、電球の橙色の光の下で
キビキビと流れているそれ。

これまでしたことがないのは、「まだ俺、子供。」意識がどこかにあったからだと気がついた。
別に、望んでするべき品の善いことではないけれど。

気がつくと、もう三十路。

「子供意識」リミッターを外してもいいのかもしれない。
したことのないこと、それがたとえ拙劣なこと、野卑たこと、であったとしても、
これまでの三十年の「子供意識」城壁の中で培った自分自身を、
初めてリアルな世間にさらけ出す行為にちがいない。

したことないことは、どうも、たくさんあるように思う。
世間を知ってやる。

撃ちてしまやん。

あああー、せめてかっこいいオッサンになりたいものである。