禅味が抜け、世俗くさくなった春、自律のため寺へ | 逸脱と研鑽の公案

禅味が抜け、世俗くさくなった春、自律のため寺へ

ああ、また、すっかりなまけてしまいました。



言い訳をすると、前に書いたとおり、片手間文筆業がありまして、


私の中の「書きたい欲」はもっぱらそれに取られていました。



雑誌とか、結局捨てられるのね、と、波打ち際で思い、寺に戻ってまいりました。



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そんなセンチメンタルな春気分は置いておいて、


さすが長文ブログだけあり、読むのに骨が折れるらしく、


数少ない読者のみなさんからは、「今度アップしてね」といわれるのみ。



じゃあ、ということで、時として沸き起こる日々の雑念については、


mixiをはじめまして、そちらでコラム式につづっています。



知らない間に、いろんな肩書きを身に受けていて、


それも問題のタネだから、いくつか整理し終わり、


もっぱらプライベートな発信環境に戻ってまいりました。



また、いつかまとめてゴリッとした書き物もしてみたいのですけれど。



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気づけば30代。


これまでの経験と、まだ若い気で居る自分と、世間からの「若年寄」視線に囲まれて、


なかなかうまくいきませんな。



まさかそうなるまい、とおもっていましたが、先達の言うとおりに、30のぬかるみを歩いています。



といいながら、いくつか自分のことが自分でわかるようになってきたのも確か。



前といい、今回といい、自分話で恐縮ですが、たまには。



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私、このGW、すこしノイローゼに嵌っておりました。



われながら、普段の感情の起伏は少なく、不健全に悩むことはあまりないし、


あってもおいしい酒を飲めば終了、が通常ですが、


今回は珍しく、考え悩み動き悩み、という悩みに嵌ってしまったのです。



この2ヶ月ぐらい、かなり真剣に大事に積み上げてきたことがあり、


それ自体が、割と自分の魂を込めて進めたことで、


いつもなにかしら考えていました。あまり悩まずに。



ところが、だんだん、思考・感情・行動の3つか、これに関してバランスを崩し、


ちょうど身の回りで絨毯爆撃のように動揺する出来事が続き、


寝不足マラソンが大絶賛実施中だったこともあってか、


すっかり、ココロの振り子が極端にふれてしまった。



まだ、鉄人には成れていなかった。



結果は、自分の中の集中力がなくなり、


考えること感じること動くことが、すっかり分離分解してしまったあげく、


緻密な積み上げ作業だったはずか、


なにがでるかお楽しみ、思考・感情・行動のルーレットゲームになってしまいました。



そして、最後は、自爆、粉砕し、ひとつの終わりに。



気がつくと、はじめた2ヶ月前と、まったくおんなじ所にもどってしまった、


いまやただの、元の木阿弥でございます。



悩みの跡と、胸の疼きと、疲れの3つのエヘン虫みたいなのを残すのみ。



「あれ、元に戻ったぞ」と思ったら、まるで悪夢から醒めたみたいに、


バランスが戻り始めました。



自爆・粉砕の理由は、


急いで積み上げようとし、急いで結論をだそうとした結果、


思考・感情・行動のスピードが早まりすぎて、


どうにも調和できないところへ行ってしまった、ということだなと、振り返って思います。



そうなるきっかけ、原因は、外からやってきたのですが、


それも含めて、ひとつの学び、定めとして、なるべくしてなったのかもしれません。



ほんとうに、そう。


もののあはれをおぼえます。



自分のスピード感がきちんと回復したら、また、積み上げ始められるといい。



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東京の高いビルで働いていると、なにごともクレイジーなスピードで進み、


ずんずんずんずん、多様多彩多段階なものたちが、並行して動くので、


頭や体も、スピードアップしていきます。



それが仕事上のことでならいいのですが、


どうにも、自分の生をつくっていく思考・感情・行動の基本要素が、


環境ストレスを無くそうとか、だんだんに、スピード感をあげてしまう。



ほんとうは、そうあるべきではないのですが、


生のスピードが、いたずらに早まる。



昨日の私と、今日の私の間に、そんなに差はないはずなのに。



特にこの2ヶ月は、京都に行ったり、福岡に行ったりすることがとても多く、


彼我の時間の流れの差を感じながら、でも行き方は音速級で、


そのスピード感の揺らぎたるや、目くるめきを超えて、首にきます。



そして、私のスピード感は、すっかり狂って早まって、


すぐ、すぐ、すぐ、と思い動き、結果、あんなに緻密に積み上げていたはずが、


歪みや隙間の多いものになり、どうにもならないものへと変貌してしまいました。



それはそうです。



どんな名曲であっても、スピードとテンポがひたすら早まれば、


最後には醜悪なノイズに化けます。



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自分の生のスピード感に、常に気を配ること。


これって、ほんとうに大事な姿勢だと思いました。



携帯電話やネットの普及により、距離感は変容し、個人の生活世界の輪郭も、地理を離れて


たいそう拡がっているようです。



それは文明のなせる業ですし、享受すべきところは享受する。



しかし、距離感や自分がアクセスできる範囲の拡がりは、


同時に、生のスピードやリズムを早めることでもあります。



少なくとも、まだ黒電話があたりまえにあったころ生を享け、


国内飛行機だってプロペラ機だった、私にとって、


もともとの生のスピード感覚は、もっとゆるやかだったはず。



どうも、スピードが速まると、思考と感情と行動が三位一体でなくなる。


空中分解する。



あれほど魂を注いだこの2ヶ月の所産は、


その結果として、そして無意識の自分への警告として、


いまや遺構となり、はたして、火が点るのはいつでしょう。



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まずは、生の基本、


食べるスピード、飲むスピードから、気をつけよう。



早い遅いが問題ではなく、気をつけることが大事のようです。



30代、新しい、成長の時期。



なんだが、入山試験の回答披瀝のようになりましたが、


こうして、自分の堂宇で自分を平たく掘り下げて、


コトバを彫りこむのは、とても大切ないとおしい時間に思えてなりません。



こんな生臭い話の終わりには、この喝がよいのかも。




グローイングアップぢゃ!