うつろう私に、地方裁判所から手紙がきた
私、名前に「哲」が入っている。
それも、この路にたどり着いた一つの理由なのだろうが、
かなり小さいときから、我が家では、付き合いの有る本屋にて「月1冊好きな本をツケで買える権」が
与えられていて、その結果として、本をよく読んだ。
子供だから、かなり漫画の単行本なども買ったのだが、
そうそう毎月買うべき漫画もなく、
ポプラ社ものの「少年探偵団」「ホームズ」系やら、
ケイブン社の大百科シリーズやら、
学研のひみつシリーズやら、
といった、児童書をはじめとして、
単にタイトルが気になった実業書とかも含めて、
本は結構漁歩したようにおもう。
日本はとても出版文化が盛んだから、そうしてニッチな本の面白さなども感じ、
なにしろ「月1冊」だから、値段あたりの「書かれていることの重さ」も重要で、
思想書なども、国語力が一回りした高校手前あたりから、
むやみに手にした。わかんなかったけれど。
その中で出逢った一冊の書が、古東哲明氏の「在ることの不思議」という本であった。
やはり、ゴツさもある哲学系書籍なので、なかなかに書かれた意図は高校身分には読み取りづらく、
未だにすべて咀嚼できている自信はないが、この本の中で、日本語感性における「在る」ことの意識に
ついて、源氏物語をテキストに語られていた部分で、すくなからず、「日本語意識」の含蓄に触れた気がした。
”空蝉”についての論考だったと思うが、
「うつつ」という言葉のひもときがはじまり、「うつつを抜かす」この”うつつ”とはすなわち、
現在確かに自分が生きる/在る、という意識であって、
さらに古い言葉も漁ると、どうも「ウ」あるいは「ウッ」というのが日本語的な存在の表象と言える。
「ウ」は有にも通じていることも、その証左。
また、「うつつ」は、浮くや倦くや鬱や憂く、にも通じるように、よどんだ様の意識もあり、
つまるところ、流転する生のなかで、今に留まる「私」の自意識が、日本語的な「有」「現」のココロである、
というお話だったと記憶する。
確かもっと、上手くエレガントに書かれていたとおもうが。
まあ、時の流れの中で、日本語が脳内主言語でもある私は、うつろい、浮き世をいきています。
さて、今日夜半、まだ仕事中に、同居人より入電。
「あんた、地方裁判所からなにやら手紙がきてるよ」
由々しきことである。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
その電話後も仕事が続き、先ほど帰宅したが、
仕事中も、帰りながらも、この手紙の封を開けたときのショックを和らげるために、
「地裁からいきなりの手紙だから、刑事ではなくて民事だろうな」
「民事だとすると、とどのつまり、債務/債権間の問題だから、
生活上いったい俺と紛争まで発展してそうなことってなんだろうな」
「主に、金銭的なことだから、そういえば、払うのだいぶ忘れてた、
奨学金返還金とかかなぁ」
などなどと、脳内シュミレーションを行い、いざ、帰宅しドアを開けた。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
食卓の上には分厚い封筒。
なるほど、東京地裁から。
くやしいのでじっくり封筒を眺める。
すると、「執行取消係」からの発信であることを示す○がついている。
「あれ、俺、誰かに執行されたっけか?」
「そもそも、この係の人、彼女とかに自分の仕事をいったい何て言うのだろう?」
と、シュミレーションの甲斐あって、余計なことまで気がまわる。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
開けてみた。
8枚ものが、丁寧にホチキス止め&三つ折りされていた。
「通知書」
「進行番号 平成18年(進行)第00000号」
「債務者殿」
「別紙取下書記載の平成○年(ヨ)00000号仮処分命令申し立て事件は、
同取下書が受理され、終了しました。」
「以上」
???????????????????????????????????
いったい、この取消係殿は、何を取り消したんだ?
そもそも、俺、何?
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
と、続く紙達を読むと、
どうやら、私が学生時代に入っていた寮が、最後に廃寮したい大学との闘争にまで発展していた
ことに関係していたらしい。
なんて、懐かしい。そして、何年取消に時間がかかっているのか。ほぼ10年もだし。
確かに我々入寮者は、その寮の利便性とマジカルな魅力と、自治によるバブーフもびっくりな
自由&アナーキーさが素敵で、面白いから、説得しにくる教授とかと雪合戦はした。
で、大学側は財源のこともあって躍起になり、裁判沙汰にして、最後はむりくり取り壊したりしていた。
ここまでは、わかる。
そうして、10年近く時は経ち、私は6回以上引越をし、全く違う時間の過ごし方をしています。
そして、ご丁寧に現住所をどうにか誰か裁判所の人が調べ上げて、届いた手紙は、
「昔出してた明け渡し断行仮処分申し立てについて、関係ないところも明け渡しエリアに
入れちゃってたから、その分をスンマセン取り下げてください、と申し立てられたんで、
10年越しに取下を決めたから、お知らせするね」
という、取消係からのお知らせでした。
えーーーーーーー。
心配したのに。
「断行」とかいいながら、ツメが甘かった人たちが、出るとこ出ちゃったから、修正もキッチリせにゃ、
という、おおざっぱな律儀さと、
法の番人として、受け付けた物事は、結果が出たら、地の果てまで追いかけて、お知らせするぞ、
という、やみくもな正義感が、
確かにひととき当事者ではあったが、そもそもその「関係ないエリア」は、関係なかったですから、
という、実は当事者ではない私を追いかけていたのでした。
もっと、みんな、地球にやさしくなったほうがいいと思う。
それも、この路にたどり着いた一つの理由なのだろうが、
かなり小さいときから、我が家では、付き合いの有る本屋にて「月1冊好きな本をツケで買える権」が
与えられていて、その結果として、本をよく読んだ。
子供だから、かなり漫画の単行本なども買ったのだが、
そうそう毎月買うべき漫画もなく、
ポプラ社ものの「少年探偵団」「ホームズ」系やら、
ケイブン社の大百科シリーズやら、
学研のひみつシリーズやら、
といった、児童書をはじめとして、
単にタイトルが気になった実業書とかも含めて、
本は結構漁歩したようにおもう。
日本はとても出版文化が盛んだから、そうしてニッチな本の面白さなども感じ、
なにしろ「月1冊」だから、値段あたりの「書かれていることの重さ」も重要で、
思想書なども、国語力が一回りした高校手前あたりから、
むやみに手にした。わかんなかったけれど。
その中で出逢った一冊の書が、古東哲明氏の「在ることの不思議」という本であった。
やはり、ゴツさもある哲学系書籍なので、なかなかに書かれた意図は高校身分には読み取りづらく、
未だにすべて咀嚼できている自信はないが、この本の中で、日本語感性における「在る」ことの意識に
ついて、源氏物語をテキストに語られていた部分で、すくなからず、「日本語意識」の含蓄に触れた気がした。
”空蝉”についての論考だったと思うが、
「うつつ」という言葉のひもときがはじまり、「うつつを抜かす」この”うつつ”とはすなわち、
現在確かに自分が生きる/在る、という意識であって、
さらに古い言葉も漁ると、どうも「ウ」あるいは「ウッ」というのが日本語的な存在の表象と言える。
「ウ」は有にも通じていることも、その証左。
また、「うつつ」は、浮くや倦くや鬱や憂く、にも通じるように、よどんだ様の意識もあり、
つまるところ、流転する生のなかで、今に留まる「私」の自意識が、日本語的な「有」「現」のココロである、
というお話だったと記憶する。
確かもっと、上手くエレガントに書かれていたとおもうが。
まあ、時の流れの中で、日本語が脳内主言語でもある私は、うつろい、浮き世をいきています。
さて、今日夜半、まだ仕事中に、同居人より入電。
「あんた、地方裁判所からなにやら手紙がきてるよ」
由々しきことである。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
その電話後も仕事が続き、先ほど帰宅したが、
仕事中も、帰りながらも、この手紙の封を開けたときのショックを和らげるために、
「地裁からいきなりの手紙だから、刑事ではなくて民事だろうな」
「民事だとすると、とどのつまり、債務/債権間の問題だから、
生活上いったい俺と紛争まで発展してそうなことってなんだろうな」
「主に、金銭的なことだから、そういえば、払うのだいぶ忘れてた、
奨学金返還金とかかなぁ」
などなどと、脳内シュミレーションを行い、いざ、帰宅しドアを開けた。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
食卓の上には分厚い封筒。
なるほど、東京地裁から。
くやしいのでじっくり封筒を眺める。
すると、「執行取消係」からの発信であることを示す○がついている。
「あれ、俺、誰かに執行されたっけか?」
「そもそも、この係の人、彼女とかに自分の仕事をいったい何て言うのだろう?」
と、シュミレーションの甲斐あって、余計なことまで気がまわる。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
開けてみた。
8枚ものが、丁寧にホチキス止め&三つ折りされていた。
「通知書」
「進行番号 平成18年(進行)第00000号」
「債務者殿」
「別紙取下書記載の平成○年(ヨ)00000号仮処分命令申し立て事件は、
同取下書が受理され、終了しました。」
「以上」
???????????????????????????????????
いったい、この取消係殿は、何を取り消したんだ?
そもそも、俺、何?
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
と、続く紙達を読むと、
どうやら、私が学生時代に入っていた寮が、最後に廃寮したい大学との闘争にまで発展していた
ことに関係していたらしい。
なんて、懐かしい。そして、何年取消に時間がかかっているのか。ほぼ10年もだし。
確かに我々入寮者は、その寮の利便性とマジカルな魅力と、自治によるバブーフもびっくりな
自由&アナーキーさが素敵で、面白いから、説得しにくる教授とかと雪合戦はした。
で、大学側は財源のこともあって躍起になり、裁判沙汰にして、最後はむりくり取り壊したりしていた。
ここまでは、わかる。
そうして、10年近く時は経ち、私は6回以上引越をし、全く違う時間の過ごし方をしています。
そして、ご丁寧に現住所をどうにか誰か裁判所の人が調べ上げて、届いた手紙は、
「昔出してた明け渡し断行仮処分申し立てについて、関係ないところも明け渡しエリアに
入れちゃってたから、その分をスンマセン取り下げてください、と申し立てられたんで、
10年越しに取下を決めたから、お知らせするね」
という、取消係からのお知らせでした。
えーーーーーーー。
心配したのに。
「断行」とかいいながら、ツメが甘かった人たちが、出るとこ出ちゃったから、修正もキッチリせにゃ、
という、おおざっぱな律儀さと、
法の番人として、受け付けた物事は、結果が出たら、地の果てまで追いかけて、お知らせするぞ、
という、やみくもな正義感が、
確かにひととき当事者ではあったが、そもそもその「関係ないエリア」は、関係なかったですから、
という、実は当事者ではない私を追いかけていたのでした。
もっと、みんな、地球にやさしくなったほうがいいと思う。