自己中心世界 | 逸脱と研鑽の公案

自己中心世界

気がつくと、とても、自己中心的な考えや気持ちやことばに、
すっかり支配されきっていることに、気付いたのです。

きっと、氷のように、感じられているのでしょう。

私は、生来、口が悪いというか、デリカシーがないところが、
結構あって、思ったことを、できるだけ正確に言おうとすることがある。

それこそが、言葉の研鑽だ、と思ってきたのも事実で、
ここのところ、生まれてこの方なく、
ことばを出し記し遺すことが多く、
また、一人でものを考え感じ動くことも多く、
さらに、禅寺に入り浸り、孤高と自然と向き合ったりして、
結果、たいそう自分世界のみを、絶対化してきているのでしょう。

人にやさしく、自分に厳しく。

言葉だけは学び記していても、
今、これが、実践できておらず、

人にきびしく、自分にやさしく、

そういう生き方を、言葉の選び方同様に、しているのです。


自分に厳しくあること、人にやさしくあること、
その真意や極意が、まったくつかめなくなり、
実践とエラーこそがすべての始まりとはわかりつつも、
気持ちがついていきません。

そのことばや動きが、人にどう評価されるのか、
もしそれが気になるのであれば、
自分自身で評価することをやめて、
思い切りやれば良いはずなのに。

結果うしなったのは、素直さや率直さでしょう。

自己撞着はよろしくない。

いろんなものを、取り戻せなくなっているので、
また、はじめから、はじめなければ。